ここに方丈庵があったとされる方丈石を見て、ここは違うと思わざるを得なかった。
方丈記原典の内容にそぐわないし、その他合理的に考えれば考えるほどおかしいからだ。
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でも、そんなことをいう人は私以外一人もいなく、と長いこと思っていたらなんと淡交社の評価の高いシリーズの一つ「法界寺」にほぼ私と同じ見解を示している方がいた。
遁世の条件 日野山の長明 京都市美術館長 村井康彦
以下内容を紹介させてもらおう。
「方丈石という名は後世の人がこの岩塊(盤)の上に方丈の庵を立てたという推測に基づく呼称である。」
「現状が鎌倉初期の地形をどこまで残しているかわからないが」
「長明の方丈の庵は岩塊(盤)を利用する形で、その上に直に建てかの如く考えられがちであるが、それは違うと思う。」
「建物は「土居(つちい)」の上に建てられている。土居とは木を四角形に組んだ「土台」のことであるから岩盤に凹凸があると水平を保てない。それ以上に問題なのは、岩盤の上に直接土台を置いたのでは風の強い時は建物全体が吹き飛ばされかねないことだ。
やはり建物は土の上に土台を置き,そばに打った杭と結びつけて固定したと考えておくべきである。」
上記の引用カ所は大体私と同じような立論だ。
しかし、氏はその先大胆に地点について推測をされている。周到な学者さんだ。
「したがって、現状よりももっと山際寄りに平地があり、そこに方丈の庵は立てられていたとみる。」
長明は家の建築について技術的にも、社会心理的にも非常に強い関心・こだわりを持っていた人。
何度も小屋の移住をしてきた人。軽はずみな立地選定はしないと思う。
おまけ
ものづくりにこだわりを持つ小生、耐震を考えて小屋の筋交いもパワーアップした。
窓があるのでこうなった。鉄筋コンクリート建物の事後的補強にも似たものがある(もちろん重量鉄骨だけど)。
2015.12.19記