九十九里町の作田家?
どこかで聞いた名前だ。
工学院大学の建築科教授だった中山繁信氏が著「世界のスローハウス探検隊」
で、世界の「建築家なしの住宅」24例を挙げている。
そのうちの一つに挙げられているというのは相当に価値あるものということになろう。
作田家は名主を務める傍ら、イワシ漁の網元として栄えてきた家。
特徴は主屋と釜屋の二つの屋根を持ちながらその間を土間がつなぎ、一つの建物として機能しているところにある。
17世紀末の建設というから400年位たつことになる。
教授は生活と火のかかわりについて述べる。
竪穴式住居の「炉」は調理、暖、明かりの3機能を担っていた。
時代の進展により火の機能分化が進み、かまどが主家から釜家に分離独立したものという。
川崎市にある日本民家園に移築保存されているそうです。九十九里町の失策だ。
九十九里町には歴史に残る古い家屋があったことと多分、歴史に残らない掘立小屋同然(失礼)の家で話題性を持っているということだ。
おもしろい!
小屋の前か後ろか横かに片流れでも作業のための屋根をつけると便利だ思っているが、これは考えてみれば機能分化のため二つ屋根にした作田家と同じ方向性を持つわけだ。