はじめに
2013年3月から4月にかけて歩き・通しで四国遍路を行いましたので初めにひとまとめにした総括(概略)版を記します。もちろん私の個人的考えに過ぎません。
昭和41年歌舞伎界最長老八世市川団蔵が引退し、四国遍路に出かけた後瀬戸内海に入水した事件がありました。仕事の途中放棄ではなく、やり遂げた後であること、元々日本人の心のDNAには芭蕉のいう「片雲の風に誘われて、漂泊の思いやまず」という気風もあり、どこか世間の共感を得るものでした。十代の私も遍路に行ってみたいと思いましたが日数も費用もかかることを知り、夢に変わってしまいました。それから長い年月を経て、やっと実現出来ました。関東に住んでいると身近に四国歩き遍路に出かける人は少ないようなので参考までに、拙い雑感を記すことといたしました。
1 実施日と日数 震災の日3月11日から歩き始め、4月20日結願となりました(通し・歩きの41日間)。ゆっくりで50日、スピード第一で37日位となるので、特に急がない一般的な中での少し早い方といえます。
2 季節 春か秋。日が段々長くなり、花がきれいで、不快害虫がいない、2月下旬から4月の連休前までの間をお勧めします。25度以上での歩行は疲労が増します。
3 困難度と年齢 本やHPには達成記録が多く載っていますが「通し歩き」計画で始めても断念する人も多いのが実態です。足、膝が痛くてどうしようもない、豆がつぶれて化膿して血だらけ、などなど。1200キロの連続歩行、それは東海道の往復以上の距離となる初めての人には未知のゾーンです。
意外だったのが70代の方が多いことです。スタスタとなんと早いことか。年齢による予断・あきらめは無意味です。
4 通し歩き達成のコツ ①荷物は10g単位で軽量化を図ること 重くても7キロ未満にしないと。下着の着替えは一つにして毎日洗濯・乾燥しながらの行動となります。②準備は怠りなく 日々、歩く機会を多くすること。私は2週間前2日連続で41キロづつ歩いてチェックしました。③装備は可能な限りよいものを ザックはグレゴリー、靴はメレル (ゴアでビブラム底のもの)を選択、また、雨の中40数キロ歩くこともあるので雨衣もゴアテックスにしました。④初めての場合、歩き始めの数日間は軽めのメニューにするのが良いようです。
5 ウォーキングについての医療系、スポーツ系のアドバイスは役に立ちません。5日で終わるものと1月半連続するものでは違います。遍路経験者、昔の旅人の記録が役に立ちます。①靴は2センチ大きいものにすることが必須です。足の膨らみ、テーピング+薄5本指靴下+厚靴下でそうなります。②杖はできるだけ長いものを。門前で売っている短いものは装飾性過多です。長いと両手で持って急坂で自分の体を支えることが可能となります(自作で対応)。③時代劇に出てくる荷物の前後振り分けは有効です。
6 合理性を わらじ・脚絆で歩く人はいません。宿の予約に必要な携帯電話は皆使っています。私は2本の足で通して歩くということを自ら設定した「行」とし、他のろうそくを立てるなどの行為は適宜合理化しました。
記憶の混同防止や情報の有効化のため写真撮影を重視し、1日50~100枚以上撮りました(16ギガのSDカード1枚で余裕)。
7 独自性を 案内書・人の記録を見て真似するだけではつまりません。正岡子規記念館、山頭火の住居、白洲正子が探すのに苦労したという西行庵を追加しました。また、お礼参りは1番霊山字や高野山に行くことはせずに、堀辰雄、会津八一その他文学者が愛する京都の寺にし(浄瑠璃寺と岩船寺)、とても後味がよく、また得るところの多いものとなりました。
8 終わりに
お寺より歩くこと、歩いている人、歩く人に接する土地の人々に感銘を受けることが多い旅でした。
取り巻く風景、街並みに感ずることの多い旅でもありました。東山魁夷の描く波、素朴画家原田泰治の描く農村風景をリアルに体感できました。
信号のない道を渡ろうと道端に立っていると、突然そばにいたミニパトカーが「お遍路さんが渡ります。車は停車してください」と大きく放送し、お辞儀をしながら涙が出てしまいました。