車谷長吉氏
図書館に氏の全集3冊が並んでいた。
気になりいつかは読んでみたいと思っていた人だ。
今回は図書館での立ち読み。
重い本を持ち帰って、また持ってきて返すというのは負担なので。
時間を盗られるのも苦痛だし。
<選書のこと>
そうそう、都府県中央図書館レベルでの聞いた話。選書のこと。
図書購入費は億を超えるとのこと。毎日取次店からトラックに載せて膨大な新刊書が送られてくる。そのためのトラック受け入れ口もある。
それを複数のプロフェッショナルすなわち司書がチェックして決める。
時間にして一冊数分。
目次、前書き、あとがき、奥付け、中身の抽出的読書などをしてその結果の合議で決めるらしい。
美術展コンクール審査に似ている。こちらは審査員の前を素通りする何秒間で決めるらしいが。
車谷氏に戻る。その書く世界、なんと読みやすく、わかりやすく それでいて深く、ぐいぐい人を引っ張り込んでゆくのだろう。
旅館での下足番、料理場での長い下働き、総会屋での勤務などもあり、小豆島で墓守をして死んだ一高・帝大出の元エリート尾崎、酔って電車を停めた山頭火にダブるものがある。
半数は身近な人をモデルにしているとのこと。
その人をきれいごと的、よかったよかった的に書くことはない。
母親は殴られ、複数の裁判沙汰も抱えた。
右翼の経営する左翼雑誌に勤めていた時のこと
編集長に言われて原稿依頼をしようと電話をかけたら偶然、あの後でノーベル文学賞を獲った大江氏自身が電話口に出た。
その時のことを書いている。
「ぼ、ぼ、僕は新潮社と講談社と、ぶ、ぶ、文芸春秋と岩波書店、それから朝日新聞社以外には、げ、げ、原稿を書きません。」
と言うた。この五社はすべて一流の出版社・新聞社だった。
何という抜け目のない、思い上がった男だろう、と思った。現代評論社のような三流出版社は、相手にしないと言う。
糞、おのれ、と思うた。
60代の若さで亡くなってしまったが朝日新聞に書いていた一ひねりのある人生相談的エッセイが懐かしい。
尾崎や種田に比べ、各賞を受賞して世間に広く認められたし、48歳にして東大出の詩人と結婚もできたし、幸せな晩年と言えるだろう。
2017.10.26記