世界7大陸の最高峰登頂に、19歳の南谷真鈴さんが成功
このニュースをみていろいろ考える。
①まずは日本人最年少登頂におめでとう。
(7大陸の方の前の最年少記録保持者は22歳時に達成したらしいが「故」とあるのに愕然。山で事故死かと思っていたらなんでもロシアで交通事故死したらしい。お気の毒にとしか言えない。記録保持期間は終わったが記録を作ったのは記憶にとどめてもらえる墓碑銘たりえ、意義浅くない。)
②つい数日前、なすびさんがエベレスト登頂の話をするのを聴いたばかりなので余計印象深い。
その時の話だが登れる期間は限られていて登山者は一定の時期に集中するとのこと。どうやらなすびさんらとほぼ同じ期間に登頂した模様だ。エベレストについてはなすびさんとともに登頂した学生が日本人最年少になったが、この記録が5日後南谷さんに破られることになったもよう。
③芥川賞最年少受賞とダブル。
何度も候補になり、50歳、60歳でやっともらえる人がいる。太宰や最近亡くなったその娘津島さんのように生涯縁がなかった人もいる。(津島さんの力量たるやぞっとするほどのものがある。なんで取れなかったのか不思議でならない。)
高校生の時から注目され、19歳で受賞した京都出身の女子大生もいる(綿矢氏)。
綿矢さん受賞と同じ年だ。結構かわいい点でも似ている。
筋のいい人が恵まれた環境下幼い時から集中した努力を継続し、早くに成果を出すということがある。
文学や登山にも、バレエ、ピアノ、バイオリンと似た要素もあるようだ。
よっぽど裕福な家庭なんだろうと妬み・ひがみも出てくるだろうけど裕福それだけじゃ登れない。現に30キロの荷物を背負っての訓練を週五日こなしていたとのこと。私は20代の時でも急坂を登るには15キロくらいが限界だった。
④初めての山を単独行で登ることとガイド・経験者同行で登ることの差はある。非常にある。
これについては身をもって体験している。南谷さんが最後に登った大陸最高峰は旧称マッキンレーだが、そのマッキンリー登山歴を持ち、凍傷にあったのか指を失っている人に谷川岳マチガ沢に連れて行ってもらったことがある。
多くの死者を出しているコースがハイキングコースになってしまった。
一般登山コースにあるような目印(四国遍路の目印に似ている!)がなくても全く気にならない。後をついて登り、言われたとおりの壁に手をかけ登るだけ。
写真を撮る気にもなれず、印象も極めて希薄。丁度助手席に座っていてぼんやりドライブしていたのと同じで道も覚えていない。
⑤「青春を山にかけて」の植村直己さん時代と異なり現代はもっと先鋭化している。並のことでは登山家・冒険家として生きていけない。「生活を山にかけて」を維持するにはよっぽどのオンリーワン性が無い限り無理だろう。
南谷さんは外国生活も長く語学も立ち振る舞いも外国人のよう。国際的ジャーナリストになって活躍しそうな感じがする。なれると思う。
(日本人でエベレストを最初に登頂したのは松浦さんと植村さんだったと思うが両方とも故人となっている。合掌)
2016.7.12記