アメリカの大学の学部授業料はとても高く、例えばハーバードは年500万円ほどとか。卒業までに日本の私立大医学部程度の学費がかかってしまう!これが普通らしい。
これじゃアメリカの大学には相当のブルジュアか中国共産党幹部の子弟しか入れない。ちなみに中国共産党幹部の年収は160万円ほどというがどうやって留学費用を捻出するのだろう。
これらもやもや感(上は一端)が体制への不満となって共和党でも民主党でも異端ともいえる候補者にあれだけの支持が集まっている感じがする。
日本ではどうか。
本来なら既成権力への不満は野党へ行くはずだが貴重な失敗例・ノー天気判断例に鑑みてそうはならないのは御案内のとおりだ。
私は今の日本のもやもや感は政治家VS選挙民よりむしろ有名人(企業)・発信者の予期に反する実態に直面して抱く庶民の気持ちの方が大きい気がする。
そこでちょっとずれるが愚見を再掲。
あるラジオ番組を聞いていたら(外国の)エコノミスト誌に、コラボはやめようよという動きがあるとの紹介があった。
そのわけは一言でいうとコラボは連絡調整に手間がかかりすぎる、
連絡調整「済」で仕事が済んだ気になるが果たして?
多数の会議で積極的に話を進める人間が有為とされるが果たして?
という趣旨だったと思う。
それを聞いた社会学者M氏がそうだと膝を打たんばかりに賛成し
SFC的なプレゼンテーション野郎に腹が立つと言った。
くそ野郎などというこの人らしい汚い言葉も使っていたと記憶する。
そうしたら、紹介者が「私もSFC出身です」と述べ苦笑するシーンに。
社会学者M氏は知能と博識、口に出さないが学(校)歴自慢で人柄的にも好きになれないが今回は賛成だ。
コラボでなくても人前でぺらぺら、へらへらうまくしゃべる人間が評価されがちだがそれでいいのか。
しっかりした成果を上げるためには一人沈思黙考で集中する時間が必要ではないか。
AO入試で大学へ入る者、
昨今の議員候補者公募に応募して議員になろうとする者、なった者、
何とか細胞在りますという人、
美声と甘いマスクと流ちょうなイングリッシュのコメンテター
皆プレゼンテーションはお上手。だけど不祥事が露見して辞めることになる人がとても目立つ。
業績は好くないのに高額の報酬を得るS社の現社長、日本語の演説はうまいし、英語能力もネイティブ並みらしい。
其の2代前の社長だったI氏の話しを聴いたが英語交じりの会話、一見(聴)人を引き付ける。純朴な技術者は酔わされたのではないか。
プレゼンテーションとは結局のところ自己宣伝。
商品宣伝。
その能力と真の力は別物のはず。
そういえばブログも発信形態の一例だ。
2016.4.3記