④1月分の新聞を読む
当月分は閲覧室にあったが前月分は書庫とのこと。
縮小版やマイクロフィルムで読むのはいや。原型で読みたいので早速依頼。
ベルトコンベアだかで直ぐにひもで縛られているものが来た。
こういう利用は初めてだが何と便利なことか。
radikoでラジオが1週間分さかのぼって聞けるのと同じように革命的なことと思う。
4年分くらいはあるらしいからうまくすれば自分が歩いた時の四国の新聞を手にして当時の気温を調べるということもできるわけだ。
小学生の夏休みの気温調査もこれですぐできることに。
住居地を選択するとき傍に利用できるまともな図書館があるか否かが大きなポイントになる。
まあ、夕張市より札幌市の図書館の方が充実しているだろう。図書館を持たない自治体もある。
7月3日から9月末まで月~金の夕刊に連載されるとのこと。
4月から歩き始めているから遍路自体はとっくに終わっている。
連載初日にはお姿の写真が載っていたがちょっと残念。帽子、眼鏡、赤色系の衣類は本人にも遍路にも似合わない。サンチャゴ巡礼の影響か?
薄い色の和服で眼鏡をかけないぱっちりした目だと大変な美人なのに。そういう写真も出てくるのでご安心を。
少し読むと番った側面も見えてくる。
膝や爪のダメジその他体調を崩して途中病院に寄ったり知り合いの家で休むこと、
やむをえずワープすることも(自動車利用)あったようだが率直に述べ体調が戻り次第また20キロ、30キロと歩き出しているのでかえって好感を持てる。
男性にはわからない山道・峠道での女性一人歩き特有の心配もあり(家田さんも言っているところ)気を遣う点を知らされる。
連載が終われば多分加筆され単行本になるだろうがかなりの話題になると思う。
結び:
書籍とネット
書籍化するとしても全札所、立ち寄ったところについてきちんと書くことは、はしょったとしてもスペース的に困難。特に写真の掲載になると不可能。
これが可能なのは無名人の行っているブログ記事だ。私も事前あるいは途中に参考にしたのがこれだ。
とかくネットはマイナスに思われるが遍路の記録に関する限り至高の情報獲得媒介。
無名人の発表手段としてはこれに尽きるだろう。昔は数百万円かけて自費出版するしかなかったが今や無料でできる。
行かれた方はぜひ記憶を記録に。
先日亡くなられた歌舞伎役者の奥さんのブログはアメリカの大学で保管されることになったそうだ。実は日本の大きな図書館でもブログ等の保管が今日的文化の保存としてまな板に載っているそうだ(図書館関係者から聞いている)。
膨大な記録容量を要するとされるがいまや3TBの外部ハードデスクが1万円で買える時代。難しくはないらしい。
記憶が記録に、そしてそれが公的に保存される文化になる可能性が大きいのだ。
2017.9.1記
③ 寺以外、特に神社に寄ることについて
連載22回に常々思っていることに重なる一節があった。
まどかさんが土佐神社に寄ったとき、自分以外の遍路は女性ドイツ人のハンナさんしかいなかった。
「土佐に入ったのに土佐の神様を素通りするなんて」(まどかさん)
「なぜそんなに先を急ぐのか」(ハンナさん)
確かに遍路の人は「脇目も振らず」という人がほとんどで遍路道から100m離れたところにある名所に立ち寄ると自分一人ということが多かった。
日程の立て方に余裕がないんですよ。一泊増えると6500円かかるし。
土佐神社の方は別だと思う。
・空海に対する思い/信仰が強すぎ、他宗教の施設を訪れるのはどこか忠誠心に欠ける気がする。
・歴史的な廃仏毀釈、国家神道への複雑な気持ちの残存
・仏教の哲学的・理知的側面への自信がその点で事情を異にする神道への無関心につながる点
といったところか。
私も30番札所のところで土佐神社への立ち寄りについて触れているので再掲したい。
四国遍路というと神社に対して関係はないと宗教原理主義的に見ざる聞かざる的態度をとる人が多いが、30番をはじめ、神社との関連因縁が少なくないのであり、もう少しおおらかさがあってもいいのではなかろうか。
空海自身、さらには釈迦自身が旧来の宗教を取り入れているのだし。
土佐神社の様子を撮ってみた。寄付金がいくらとか、不要な彫り物・看板が見当たらない点は見習うべきものと思う。
②歩くわけ
私は4年半前に同じところを歩いている。
それだけに、読むと
なんだか同窓会に出たような懐かしい気持ちになるところ
気が付かなかったところを教えてもらいそうだったのかと思うところ、
その他色々に感じるものがある。
まどかさんが宿の女将から聞いたこの話しにはたまらない気持ちになる。
連載28回目札所39番のところ(2017.8.9)
宿に泊まる夫婦の遍路客に飲み物を持っていくと
さっと何やらを隠す。
骨壺と見抜き床の間に置くように言う。
幼くして亡くした子供の遺骨と聞き、話してくれた夫婦とともに泣くというものだ。
体育会的ノリで明るく歩く人もいるがかように重い荷を背負いながら歩く人もいる。
わたくしも1カ所で似たようなご夫妻に出会った。
お寺の出口で二言、三言口を交わしただけ、
生活が苦しそうな40代がらみ。
九州から軽自動車で折を見てやってきて回っているそうだ。
ただ,暗かった。
どうしようもないほど絶望的な暗さだった。
ただ事でない暗さであった。
直感でご家族を亡くしたな、それも幼い子をと感じた。
しばらく写真などそんな浮ついたことは微塵もできなかった。
そのこともあっていまだにどのお寺だったか思い出せない。
2017.8.30記
➀ 初めに
➀ はじめに
このところほとんど見ない東京新聞をたまたま見たら
あのちょっとかわいい俳人黛まどかさんが連載で「同行二人」という歩き遍路の連載を書いているではないか。
新聞が連載で遍路日記を載せるなんて高群逸枝の娘巡礼記(熊本日日新聞)以来、100年ぶりに近いのではないか。
ましてや有名人のそれは初めてであろう。へーといい意味でショックだった。
彼女、確かクリスチャンでフランス、スペインの巡礼をしていることは知っていたが。
早速拝読すると有名人、芸能人にありがちな適当性、話題性に頼っているものではなく、
真面目に歩いていることがすぐ分かった。
今日は久しぶりに30キロを超えるとか、20キロ歩いているとかの文章でピンとくる。
ガイドブック、案内書引き写しのつまらない代物ではない。(そういう要素もないことはないがそれはしょうがない)
冒頭の引用でもわかるがプロの文章家であり、自意識過剰、自己礼賛しまくりの素人ブログとはふた味違う。
それに彼女、英語のほかにある程度フランス語も話せるようで、その点でも外国人遍路とのやり取りに興味がもてる。
こりゃ、このシリーズはさかのぼって読む価値がありそうだ。いずれ単行本になるだろうけど。
図書館で過去1月分を読もうとしたら中日新聞の方が保管されていたのでそちらを読むことに。
以下続く(8月28日記)