遍路の本を読む
① 森 哲志 「男は遍路に立ち向かえ」 2009年 長崎出版
題名のつけ方はちょっと。なんだか昔の平凡パンチみたいでイマイチ。立ち向かう向かわないは本人の勝手でしょ、と思ってしまう。
著者は1943年生まれの元朝日新聞記者。元朝日の記者と言うと辰濃さんの本も有名で、知る限りOB二人が出版していることになる。
ただ中身は結構異なる。
辰濃さんは区切り打ちで、行程に沿って記録を詳細に述べるというものではない。どちらかと言うと文学的宗教的印象主義的色彩が強い。
森さんのほうは通し打ち42日の記録を丁寧に書いている。ルポルタージュ的色彩が強いともいえる。
遍路本の多く、いやほとんどが途中での地域の人との交流や短時間でも一緒に歩くことになったお遍路のことをエピソードとして書く。
この点読んでいてワンパターンではと思ったり、いやそれがいいのだと
思ったりもするところだ。
森さんはむしろこの点に焦点を置くかのように途中であった若い歩き遍路、介護福祉士、理容師、元自衛隊員の3人をフォローするかのように丁寧に書いている。彼らの変容というか内面的進化も見られ、意味あるものになっている。
② これがほんまの四国遍路 大野正義(著) 講談社現代新書(\735円)
図書館には四国遍路の本がたくさん。東京駅そばの八重洲ブックセンターには四国遍路のコーナーまであった。異様ともいえる傾向。HPに至っては星の数ほど。
しかし、内容は、 動機・きっかけ、 準備、 本文(歩行日記)、 結願とあとがき
で、似たり寄ったり。
お寺が動くわけなく、距離、時間も大同小異。
個性的な内容というと自己のプロフィールと宿あるいは遍路中に遭遇した人とのエピソード位。
フルマラソンに参加した人が皆走行記を書く、書きたがるようなもの。
そんな中にあって、たまたまお一人秀逸なHPを見つけた。順打ち7回、逆打ち5回だそうだが
内容のゆえにそのHPを見た大手出版社から声がかかり本にもなっているそうだ。
提言、批判の内容も十分にあるジャーナリスチックな面とともに学術的な内容も多分にあ
る。元地方の小吏とおっしゃるが、朝日で天声人語を書いていたというあの方の著作よりはる
かに深い。 四国遍路を論文にしたいという学生にとって種本にもなるだろう。
詳しくはHPを
http://www.eonet.ne.jp/~oonomasa/henro.htm
③ 司馬遼太郎「空海の風景」と頼富本宏「平安のマルチ文化人 空海」
四国遍路に行く人のほとんどは宗教心希薄です。行く前にあわてて司馬遼太郎の「空海の風景」を教養として読むという人が多いようです。
しかし、どうも私は氏を好きになれなません。白髪交じりの長髪でいかにも文化人というその風貌で得をしているかもしれませんが、ルポ作家佐野眞一的な、あるいは週刊誌的な物事を斜めに底意地悪くとらえるような傾向を感じます。
以下、頼富本宏さんの著によりますが、
空海は入唐してもすぐには恵果の門をたたかずに、寄宿寺の近くにいるインド僧に師事して梵語・梵字、インドの宗教事情を学んでいます。
「密教の精髄を有効に授けてもらうには梵語・梵字というインド文化の教養が必須であり、~空海は密教情報のアクセスに努力したのである。
司馬遼太郎氏などが以前に指摘したように、相手を待たせて自分を高く売り込むという理解とは、少し異なっていると思えてならない。」
「密教の教えとその深奥なる内実を師から弟子に伝えるには、司馬氏のいうような世間的な駆け引きは全く通用しない。」
「恵果のほうも東方の島国から密教を求めてきた空海の志を是とするとともに,漢語はおろか、梵語まで扱える空海の才能と適性を一目で見抜き、異国僧への伝法に~」と考えるほうが素直だと思います。
遍路に行く前に空海を知る本を1冊、というなら頼富本宏氏の本をお勧めします。読みやすく、客観性があり、げすの勘繰りの本とは違います。
NHKライブラリー「平安のマルチ文化人 空海」2005年発行
④ 退職したらお遍路に行こう
書店に行っても図書館に行っても四国遍路の本は多い。
知人はヨーロッパに行って巡礼の旅に出るとか言っている。
宗教を離れて、例えば東京マラソンへの参加的な感覚で行く人が多いようだ。
参加する人は何らかの意味で記録を残したい、できれば本にしたいと思っている。
登山者と同じ。クルーザーでの航海者と同じ。
それには差別化を考えないと。
仲川さんはできている。
「退職したら」と退職との関係性を強く打ち出していること。
右顧左眄せずに自分の考えを通していること。受けを狙う職業的文筆家=売文業の人と違うところ。
たとえば、
かまえることはない。
何の準備もいらない。
歩くのに資格も手続きも訓練も準備品もない。
四国に渡れば、ただ、そこから歩くだけである。
足を鍛えておく必要はない。
鍛える、練習のつもりで最初を歩けばよいのである。
なんだか大会を練習ととらえる公務員ランナー川内君みたいで痛快だ。
マニュアル依存症はやめにしましょう。
言い忘れたけど氏は完全に歩き、しかも通して42日間でなしえた。そこも魅力。
過度にこだわることはないが4回に分けて走ってもフルマラソン完走ですということは変でしょう。別な形態の歩き方と捉えればいいのでは。
⑤ 死国 坂東眞砂子
坂東眞砂子さんがなくなったことを新聞で知った。とてもお若いのに。
ラジオでインタビューを聴いたことがある。
海外暮らしや猫殺しの件で有名だが「死国」という作品は知らなかった。
何やら四国遍路、しかも逆打ちが大きな要素となっていると初めて知って読んでみた(角 川文庫)。
「四国は死国。四国はその原初において死国だった。
死国はかってこの世に存在したのだ。
そして今も神の谷によって四国は死国につながっている。
しかし、生身の人間が死国に行くには別の道をたどらないといけない。
それが左回りの遍路道~」
実在の場所、実在の歩き方=逆打ちをうまく使っている。
おどろおどろしい、横溝的雰囲気をもったホラー小説ともいえる。
部分部分を見るといかにも映像化を前提としているようなパターン的描写も見受けられるが。
しかし、四国についてこのような言い方をしてクレームがつかなかったのだろうか。
これでよいなら村上春樹だってわざわざ作品自体を変更するまでもなかったのではない かとも思えてくる。
高知の人らしく石鎚山やお寺のことなど地元の知識をうまく使っている。
ただ、ご自身は歩いて遍路していませんね。読んでいてすぐわかる。
逆打ちにサカウチとルビをふっていますが、歩いている者は皆ギャクウチと言っていたような記憶がしますが。
私はそう言って反対方向から歩いてくる人にあいさつをした。
ホラー小説の最後は残った者にも憑りついているものの端緒がうかがえてぞっとする、というシーンがある。
板東さんも高知で、あの病気で短期間にお亡くなりになったわけで、ご自分の小説に出てくる神の谷に入ってしまったような印象だ。
そう思うと怖くなる。
ご冥福を切にお祈りします。 (2014年4月20日 記)