辰濃さんの本にも出ていた三味線を弾きながらの若い女性歩き遍路の本だ。
目にして、あーあの本かと気が付いた。
冒頭、早坂暁氏の詳細な解説がある。これは良しあしかも。
末尾に「早坂暁(企画協力)」とあることからもわかるが出版意図がわかってしまう。この本は企画本なんですね。
高群逸枝の娘巡礼記から約100年、同じ24歳、だから平成の娘巡礼記というわけだ。
どうしても遍路について表現したいという切羽詰まったものは感じられない。月岡さんにとっては2回目、そして女性カメラマン完全同行のふたり遍路。
始めてと2回目はまるで違う。一人と二人はまるで違う。ドキドキするような不安感は減衰の極み。女性がオートバイでアメリカ大陸を横断というふれこみであったが車に乗った男性が同行していた例を想い出す。
このあたりのことはこの程度にして、内容に一言。
・途中道ずれになった人との会話、エピソードが占める比重の重さ。
これはしょうがないと思う。日々閉ざされた世界にいるとそこに救いを求めるようになってしまうのだ。誰でもこうなってしまう。よほどの変人でない限り。
・生理の話
女性なら避けられないしトイレと同じく重要なことだから触れるべきと思っているのかもしれない。そうだろうが、程度と頻度が。
トイレに行ったら生理になったとか、多くて漏れて黒いズボンでよかったとか、記事数が多い。もう少しオブラートにすべきだった。
女子校の方が共学より露骨になるというがそんな感じ。
美術展でいくら生活に欠かせないとしてもくみ取り便所の大きな便器の絵を見せつけられたら辟易するだろう。
(他の例だが、一般人が引くような言葉「う○○」「肛○」をあえて羅列する本も散見 されるがそこに営業的狙いあるいは倒錯的・逆説的な優越感を感じ、哀れにすら思う。
羞恥心と品格をお大切に。)
・そんな話より三味線で曲を100以上暗譜しているとかそのあたり、音楽に対する真剣な態度に惹かれるものが大きかった。
・最後の結願あたりの記述構成は秀逸であった。構成者の力量?
初版は平成14年、若かった24歳ももう40歳近い。
2015.12.27記