延暦寺第5代座主円珍(智証大師)と空海
43番札所 明石寺で宗派が天台寺門宗となっているのを知り、どういうこと?と思ってしまった。天台宗にとって真言宗空海はライバルのはず。天台宗のお寺で弘法大師を拝むなんておかしくはないのかと。
宗派の名前も天台宗ではないし。
そこで調べることに。
少し調べて、へ―そうだったのかと驚くことに。
正に「知る楽しみ」であるが、知ることの限界を考えると底知れぬ無限の闇を小さなで照明で見ようと無駄な努力をしているかのような気もしてくる。
それはさておき、とりあえず「天台寺門宗」の概略をウイキペディアで検索すると
1)大乗仏教の宗派の一つで高祖は中国南北朝から隋の時代の天台大師何とかという人(538~597年)。
宗祖は平安時代の第5代天台座主の智証大師円珍(814年~891年)。
ここで驚くべきことは円珍が空海の姪の子であることだ。
えー、なんだって空海の一族である姪の子がライバル宗派比叡山で修行するにいたったのだろうと不思議に思う。
また、空海より先に死んだ空海の甥(姉の子)も相当な人だったようであるがこちらの姪の子も天台宗トップになるなんてこりゃ音楽界のBACH家同様天才家系なんだと思わざるを得ない。
(このあたり通俗作家で物語にする人はいないのであろうか。面白いと思うけど)
2 最澄亡き後の天台宗は第3代天台座主円仁と第5代座主円珍の二人の巨人の登場で二つに分かれることになり、円仁派は比叡山に残り(山門派)、円珍派は山を去り三井寺(円城寺)に入ったそうだ(寺門派)。
真言宗で金剛峰寺トップだった人が命まで狙われ高野山を去って後の新義真言宗を打ち立てたことを思い起こす。大昔に両宗ともいろいろあったんだ。
図書館に置いてある本は少なかったが、吉川廣文館の「円珍」(人物叢書 佐伯有清)はわかりやすく偏らない編集でよい。円珍の生涯を克明にたどった初の詳細な伝記ということで他の学者の評判もいいようだ。おすすめできる。
天台寺門宗のHPも有意義。どこか違う個性を感じる。源氏や平家との関わり合いなど興味は尽きず深入りしそう。
いつか三井寺に行ってみよう。
(2015.7.17記)