桜が散りつつあるというのに、4月8日の今日、少しだけど,雪が降った。
2013年春の今頃、久万町を歩いていて雪と桜を同時に見たことを思い出す。
その遍路だが、記録を書き始めて途中で止まったままだ。いろいろ用事・作業があったし。
ただ、1200年記念ということでこの間、メディアの取り上げが多く、それらを視聴することは多かった。
そんな折、司馬遼太郎「空海の風景」と頼富本宏「平安のマルチ文化人 空海」で取り上げたその 頼富本宏(よりとみもとひろ)さんが亡くなられたことを知った(2015年3月30日没前種智院大学長)。
宗教家というととても高齢な感じがするがまだ69歳と、若い方だ。
ご冥福を祈りつつ、改めて氏の「四国遍路とは何か」という本を手に取ってみた[平成21年、角川選書]。
表紙の写真から驚く。(またもや4番大日寺ではないか。なんでこの小さな大日寺鐘楼門がこうも取り上げられるのだろう。)
歴史から現在まで幅広く取り上げている。いくつか気を留めた箇所を挙げたい。
・何かと話題となる真念「四国遍路道しるべ」の上梓より34年前の1653年に澄禅(チョウゼン)が100日かけて行いあらわした「四国遍路日記」を詳しく紹介している。
澄禅は「学侶・学僧に属する人物であるので、その記述には歴史学的・仏教学的な信憑性が高い」としている。
・「近現代に出版された遍路関係の書籍」という項目も立てていて興味深い。
交通機関の発達による遍路記内用の変化を指摘し、徒歩を主体とする遍路でも室戸岬や足摺岬などへの長丁場にはバスや列車を利用するため、遍路記のその部分だけがまるで早送りしたような記載となるという。この点は私も全く同一な思いを抱き、書いていたところである。偉い学者先生と無名その他大勢の人間と思うところは変わらないようだ。
・おびただしい数のガイドブック類が刊行された中で昭和40年代から60年代に出版されたものの大半は車遍路用の内容であり、歩き遍路を対象にしたものは「山と渓谷別冊のチャレンジ・ザ・88ー四国遍路88か所ー」と~が先駆け的存在であったという。
読まない雑誌として断シャリしなくて良かったと述べたがそこまで価値があるとは思わなかった。ただし長丁場では車やバス、列車を利用しており、遍路記のその部分は早送り状態なのは残念な所である。