65番三角寺 調伏・呪詛
事前の学習は良いこととされているが一概にそう言えるのかは疑問。
学習・勉強をすればするほどストレートに対象を見るのではなくあらかじめ形成されている予断(偏見)に基づいてみることになる。
自慢にはならないが四国遍路をするにあたって各お寺についての事前学習は限りなくゼロだった。
写真家藤原新也氏いうところのアウラを感じるか否かその程度の基準で回った。
そしてこの65番三角寺
お寺の中に石柱で囲まれた一角があった。
どこか違う。
何かが違う。
何かが漂う。
正面入口の門には確か鍵がかかっていた。
なんでだろう?
解説を読んでもピンとこない。
それから3年以上たち、やっと通り一遍でなく文献その他をみてみる気になった。
40年前に出版されたストレートな書き方をしている本
中国新聞社発行 「死装束の旅 四国遍路」を開いてみる。
「仏敵殺す祈願の跡地」という項目があるではないか!
通常、護摩壇はぬるでの木などで四角に組む。ところがここでは三角に組まれた。この場合を調伏祈願といって悪魔を鎮めるのを目的とする。
祈禱のもっとも凄みのある修法。息災、増益、敬愛を願ってのそれはおなじみだが、調伏となるとめったなことでは行わない。
「お大師さんでも十数回やられた程度。私はまだ一度もやってません。何しろ怨敵退散なんですから」薄暗い納経所で住職の目は燃える。「この間は断食して、成就せんことには自らの命を投げ出す構えでしてなあ」。
静寂な境内の中で、池はいっそう不気味ですらある。
現代では他人の心持のありようについてとやかく言うべきでないとされるのが一般であろう。そういうこともあって調伏と呪詛を区分して説く書が多い。三角寺で行われた調伏についても現代人から見て大師の尊厳にかかわらないようにとの配慮がなされている気がする。
著者は他の車遍路参拝客人に「お大師さんがそんなことをなー」といわせている。穏やかでないお大師さんの側面もあることを言いたいのではないか。
追記
どういうわけか上の写真、加工編集してこの項に載せようとしたがあちこちに飛んでしまい納めるのが大変だった。落ち着いてもらうため三角寺での朱印と墨書きを併せて載せることにした。
下の写真、入口右わきの石像、なぜか首のあたりが光っている。
おんまか きゃろにきゃ そわか
おんまか きゃろにきゃ そわか
おんまか きゃろにきゃ そわか
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
2016.7.17記