今、電力会社による太陽光発電電力(系統連系)受け入れ制限が話題となっている。
原発再稼働のための陰謀だ、などの立論もあるようだが、それ以前の話として太陽光発電の過大な宣伝をおかしいと思っていた。
以前、クロメダカが絶滅の危機にあることが話題になったが、「クロメダカは儲かりますよ。1匹600円になりますよ。田んぼをつぶして池にして商売しませんか」などと宣伝してビジネスをさせるとしたら世間はどんな感情を持つだろうか。
一時600円になったことは事実で覚えている。しかし、生物多様性保護を餌・隠れ蓑に金融商品であるかのように取り扱うことにどこか不健康なものを感じるのではないか。
近著に、次のような駄文を載せています。
―山頭火とマッチ―
何気なく山頭火の随筆*を読んでいて、オヤと思われるものがありました。
*「ものを大切にする心」春陽堂 定本山頭火全集№6
山頭火が四国霊場を行乞巡拝したとき、職業遍路にしては心身共に卑しくない老遍路と道連れとなり、日々後になり先になり歩いたそうです。ある日、路傍の石に腰かけて休んだとき,その老遍路はやたらに煙草にマッチを擦る様子。一服一本ニ本、あるいは五本六本と。
「ずいぶんマッチを使いますね」というと「マッチばかりもらってたまってしょうがない。売ったっていくらにもならないし、こうして減らすんです。」との返事。
これを聞いて山頭火は嫌悪と憤懣の情を抱き、我慢していたが数日後どうにも堪えきれなくなり、それとなく離れ離れになったとのこと。
文章は「マッチ一本を大切にする心は太陽の恩恵を味解する。日光のありがたさを味解する人は一本のマッチでも粗末にはしない。」と結んでいます。
マッチのことでそれほどまでと意外でしたが、考えてみると私もこの数年、太陽光発電について似たような気持ちを抱くことがあります。
一般家庭でありながらその電力使用のレベルを超え過大な太陽電池パネルを屋根に設置して月に万単位の売電料を手にし、そのことを誇らしげに言う人が増えていることです。
そのお金は系統連系型太陽光発電とは無縁の日の当たらない木造アパートの一室に住む非正規雇用の人の電気料金にも課せられる「再エネ発電賦課金等」に依拠しています。自然エネルギーの活用が金融商品的に扱われかねないことにどこかおかしいと疑問を抱きます。