反 森林派?
やたらに開催されるマンネリ美術展「琳派」展覧会への反発ではない。
森林大切、樹木第一のワンパターン志向へのちょっとした反発のつもり
日光東照宮と桂離宮の二者択一というと後者を選ぶのが大半だろう。
私も長いことそうであった。
しかし、ある時オートバイで関東を大きく時計回りに数百キロ回ったことがある。
群馬県から栃木県へ。
尾瀬沼、金精峠などを通って栃木県へ。
進めど進めど周りは緑と森ばかり。
淋しくなってきた。
緑は人間を襲い、飲み込むような怪物に思えてきた。
やっと着いた日光。
あのけばけばしい、それまで馬鹿にしてきた彩色にほっとした。
人間のぬくもりを感じた。
森林率60%超えの世界最高水準自体は好ましいことと思う。
けれどそれでいいのでは。
すべてを木で覆わなくても。
日本の人口は東京圏,大阪圏、福岡圏など大都市圏に集中。
そこではマンションなら広くて70数㎡、戸建てといっても庭なしに近い30~50坪。
そこで生育してきた人間は戦時中に育った人間がやたらに食べることにこだわり、糖尿病になるまで食べ続けることと同じく、木に偏愛の情を示す。
脱都会の田舎暮らし志向はむやみに山林を目指す。
しかし、
木は恐ろしいことも、良くないことも引き起こす。
今、話題となっているフランス大使館にも近い港区の有栖川宮公園
江戸時代の大名屋敷時代からと思われる大木の巨大な枝が、ある日前触れなく大音響とともに折れ落ちた。
下を人が通っていなくて好かった。
が、台風で木が倒れ、車、家屋をつぶすことは少なくない。
木の所有者は民事責任、場合によっては刑事責任をも負う。
先日終わった正倉院展
正倉院のそばに木は植えられていない。
木の倒壊だけでなく(そういえば先年室生寺の五重の塔が倒木で破壊されてしまった。)樹木の湿度で悪影響を受けないようにするためだ。
旧軽井沢
ドイツ車同様成金が求めたがるブランド地域
しかし、あの薄暗く多様性に欠ける貧弱な植生。
ゴルフ場の芝同様ではないのか。
もう一つ、過度な木は太陽の恵みを拒絶することになってしまう。
木陰は田畑の生育に障害となる。
布団、洗濯物も乾きにくくなる。
最近はやりの技術でいえば太陽光発電や太陽熱利用の阻害要因ともなる。
そんなこともあって、私はある程度の広さの土地を得るとき、何もない広がりこそが価値あることと考え、木で覆い尽くすことは全くしなかった。
ある編集者に木が少ないねと言われた。
したがって大木など全くない。
ところが鳥のフンから育った小さなタブの苗がいつの間にか大きな木になっていた。
何もない更地も放任しておくと10年で森になってしまうということを体感した。
このくらいならいいかなと思った。
しかし、カミキリムシにやられてしまった。
やむなく電気チェーンソーで伐採。
年輪を数えると丁度12年くらい。
同じ場所で同じ時間生きてきたのに。
仲間を失ったようで哀れでならない。
2015.11.16記