33日目
2013年(平成25年)4月12日金曜日
60番横峰寺(よこみねじ)を目指す。
今日は山を登るので早めに「 にゅうがわ駅」に近い宿(ターミナルホテル東予)を出た(AM5:30)。
自由な時間に出発できるのはビジネス旅館のいいところだ。スキヤで朝定食。
48号を進む。関東の16号のよう。全国区の有名店が並ぶ。
歩いていくうち、空遠く高いところに山の姿を見て感激する。
ちょうど初めて大糸線車窓から北アルプスを見た時のような感じだ。
今治小松自動車道を越え、しばらくして満員につき泊まれなかった栄家旅館のところに出た(6:38)。
旅館といっても遍路宿の定員はせいぜい7~8人が多くグループが泊まると他ははじき出されてしまう。その団体さんも出かけるところ。ひと声かけてお先に。
その先で147号に曲がる。何ともほほえましい小学生の集団登校の姿。公立学校と思うが茶色の制服とはおしゃれだ。栄家旅館から1時間ほど歩いているから石根(いわね)あたりかもしれない。
松山自動車道を横切り、妙谷川に沿って歩く。
途中の休憩小屋には8:15頃。ここは標高70m。
しばらくして目立つ「喫茶テントウムシ」前に出る。怖そうな所に建っている。
まだ閉まっていた(8:39)。
高度は上がってくる。湯浪(ゆうなみ)で180m、トイレもある道路終点の休憩所で300mになる。
自転車遍路の男性もいた。300mの登り坂は大変だっただろう。
どんな気温だったか記憶にないが寒さ対策の上に白衣を重ねている。肌寒かったのだろう。
前方左に横峯寺への遍路道入口が見えている。まるで本格的な登山入山口のよう。
遍路道に入るといきなり傾斜がきつくなる。(9:22)
12番焼山寺への登りが1番の難所とされるがこのルートの方がきついように思われる。
一般登山の縦走路といって差し支えない。
渓流と平行したり、出会ったりするところがあるので荒れやすいようだ。
後述するが他コ―スを選ぶべきとする人もいる。
段々数が減ってくる丁石の表示は励みになる。十一丁石で9:46。
がんばりませう。左は五丁石。(10:13)
仁王門が見えた。頂上は近い。一丁石だ。(10:30)
仁王門着 10:30 約1時間かかった。
各建物の配置がわかりづらく今一の感じもする。敷地が狭くやりくりが大変なのかもしれない。
おや外国人撮影クルーが。
アメリカTBSというテレビ局らしい。
なんでも世界の宗教シリーズを作っているらしく日本では四国遍路を取り上げるとのこと。
カメラ、音声其の他スタッフ数は多く、大がかり。予算たっぷりの様子。
福山衆の礼拝風景を撮っていた。
60番横峰寺(よこみねじ)へ向かうルートの選択
私は愚直に順番通りに歩いた。
思考力が低下している日々、比較検討して選択する余裕などなかったのが本音だ。
が、あれこれ考えて違う登り方をする人が少なくないようだ。
地図にも書かれている。
「雨天の際は水量が急増し溢水の急・激流で危険大。通行不能になることがある。」として
「国道11号を61番から63番吉祥寺と打ち、車道経由で60番に行き、打ち戻って64番に進む」という方法を示している。
前記の写真でも荒れた後がわかるし、実際そうせざるを得ないケースもあるようだ。あとで人に妙之谷川→横峰寺ルートは登れたかと聞かれたから不能となるケースも少なくないのだろう。
今にして伝統的遍路道を歩け、車道を歩かなくて済んだこと、下山に白滝奥の院コースを歩けたことは幸運だったと思う。
なお、女性一人歩き遍路という立場から上記の61番→63番→60番→64番を勧める人もいる。
ゆっくり45分くらいいて、11時過ぎに香園寺奥の院経由での下山開始。
車道から脇の遍路道に降りるとき異界に入るようなぞっとする気持ちとなった。
2016.5・31記
60番から山を下ること7.6キロ、途中の休憩所から2.3キロの地にあるのが61番香園寺白滝奥の院。
790mから60mに下がっている。
本来滝に当たるところらしく、建物の歴史としては若く、コンクリート製。そのせいかあまりアウラは感じられない。
その先 大谷池、高鴨神社と続く。
別に神道信者ではなく、当初から訪れる気は全くないが、途中目にする神社はなぜか清涼感とアウラを感じることが多いのはなぜだろう。
61番 香園寺(こうおんじ) 13:58到着
真言宗御室派 開基 聖徳太子
大聖堂は昭和51年に建立された鉄筋コンクリート製で椅子式。正直複雑な印象。
62番宝寿寺へ向かう。
石屋さんを目にした。仏像以外の芸術作品も作っているようだ。
2キロ20分の距離となる。14:49到着。
るるぶの「四国八十八カ所」(JTB2011年)には下の一国一宮別当宝寿寺という石碑の写真を挙げて最古の遍路標識」と説明しているが?妙に新しい。
(追記2016.6.28)
別の雑誌が「山門入った左手に古い道標が立っている」として掲げる写真にはもっと小さなものがいくつか並んでいる。こちらが正しいと思う。
ところが、その山門が見当たらない!
このお寺にはいろいろあるようで残念な印象を抱く人が少なくない。
「人生いろいろ、札所もいろいろ」
宗派の指導性は?
http://ameblo.jp/henrosendatsu/entry-11042394979.html
(*)中には札所を変更せよ、とまで言う人もいる。
63番吉祥寺へ向かう。
宿は62番宝寿寺(ほうじゅじ)そばのビジネス旅館小松にとってあるが、まだ午後3時、しかも次の63番までは1.5キロ、20分の距離なので、そこへ行ってから投宿することにした。
吉祥寺到着 15:27
キチジョウジか。浄瑠璃寺同様に少なくない寺名なんだろうね。
本尊が毘沙門天というのは珍しい。88か所でここだけとか。
真言宗東寺派。元のお寺は天正13年秀吉により全焼し後に現在地に再興。
少しUターンして伊予小松駅に近い宿に向かう。
16:15頃到着。ここは量の多いすき焼き料理が有名でそれで好評でもあるが、私は特段好きでないのであまり…。
食事の客は4人。妻を亡くしている常連さんが声高にしゃべる。
2年前に泊まった元総理の色紙があったが、あまりお上手ではない。
風呂は一人用で小さい。洗濯代100円、乾燥代100円→2回やっても乾かなかった。
2016.6.11記
34日目
2013年(平成25年)4月13日 土曜日
小松旅館を7時ころ出発。
(これを書いている2016.6.15、「トップリーダーが2流のビジネスホテルなど泊まれますか」とスイートルームに泊まっていた都知事が辞職を表明した。その点は1泊2食で6500円の最低レベルの旅館に泊まった文字通り国のトップだった元総理の方が偉い。もっとも自費だし、こういう宿しかないけどね。)
小さな芝の井大師前を通って前神寺到着と思ったがそれは隣の石鎚神社入口だった。
さらっと過ごせばなんでもないが両者の関係は複雑だ。
判官びいき的考えになるかもしれないが広大な境内を奪われたお寺が可哀想。
廃仏毀釈の罪深さ、すさまじさを考えてしまう。
64番前神寺
7:50到着。真言宗石鉄派 開基は役行者
本堂前両側に回廊のようなものがあって独特。
人も少なくひっそりと淋しい雰囲気だ。と思っていたら山茶花で一緒となった高橋さんにばったり。懐かしい。
この方地元四国の人。息子さんが社会人になりほっとすると言っていた。この後しばらく共に歩いた。
65番 三角寺に向かう。
前神寺から三角寺までは約45キロ。宝寿寺前からの出発となるので50キロ近くなる。
そこで番外12番の延命寺の先、JR伊予どい駅に近い松屋旅館の予約を取った。
今日の行程は歩きの平均的距離30数キロとなる。
JRや国道11号の南を東に向かって歩く。いその橋を渡り、その先室川を超え西条市から新居浜へ入った。
四国在住のTさんは自宅にも立ち寄るらしく軽装で済むのがうらやましい。が、自宅の存在は誘惑であり通し歩きにはかえって障害になるようでその点は良し悪しだろう。
歩いていると異様というか普通とは全く異なる門構えの建物が目に入った。
広くはなさそうであるが田中角栄氏の文京区目白台の屋敷の門構えを見た時のような感じだ。
プライバシーにかかわるので一部の写真にとどめるが、紋は後で岩崎弥太郎が三菱のスリーダイヤに使わせてもらった土佐藩主のものではないか。
Tさんも興味を持ち、後で調べるといっていた。
3年前のことを書いているわけだが、なぜか関連する人・法人が今日のニュースに登場していた。(2016.6.17)。
*三菱自動車が燃費不正に関して1台10万円支払うとか。岩崎は草葉の陰で嘆いている
ことだろう。
*東電は福島原発事故時、メルトダウンの言葉は使わないよう官邸から圧力を受けたと
発表したが、菅さんは否定した。
(高群逸枝の娘巡礼記に、ある宿に土佐藩主末裔が来ることになり一同大騒ぎという一節があった。)
萩生庵(はぎゅう庵)
11号線旧道だったかもしれない。歩いていると左側に遍路休憩所になっている家があったので二人でガラス戸を開けて立ち寄った。
奥に畳もあり、泊まれるようになっている。いわゆる善根宿だ。
しばし見学。元総理と主宰の高橋さんが写っている写真もある。高橋さんは有名で後でTVでも拝見した。
H24年に86歳とのこと、現在90になられる。息災にしていらっしゃるか。
備え付けのノートを見ると、だいぶ前に、あるお寺*の登り口でお別れしたTさんが前日泊まっているではないか。
* 12日目の3月22日 27番神峯寺だった。
氏にはコーヒー好きでもしょっちゅう缶コーヒーを買うのは不経済なのでコーヒーボ
トル缶とステックコーヒーを何袋か用意して置き、あさ、宿を出るときお湯を入れて
おくのが良いと教えられた。
歩き遍路ではいったん別になると先行者が何らかの理由で停滞しない限り二度と遭遇することはない。駅の伝言板を使うメロドラマが思い浮かぶ。
国鉄総裁十河さん生誕の石碑(12:12)
昔々連日のように新聞に出ていたお名前だ。
今知る人は多くはないだろう。略伝を読み、若い時、鉄道省に長くいたわけではないことを知る。97歳と長寿だったんだ。
変哲ない住宅地は落ち着く。
三度栗大師を見(15:06)、いくつかの橋を渡り、別格札所延命寺に着く(15:32)。
八十八か所ではないが通り道にあるのでいつものように立ち入り、納経等で30分ほど。
福山のグループとあう。
ここら辺は一茶が訪れており、土地の誇りにもなっているようだ。足跡を示す碑を目にする。
延命寺から1Kくらいで今日の宿松屋旅館に到着す。(16:15頃)
この宿は優れていると思う。風呂はきれい、部屋もよく、小さな玄関付きだった。女将も説明よく、てきぱきしている。洗濯が終わったものを部屋まで届けてくれた。
広い中庭にハイブリッドカー。そのことについて少し話した。
1泊2食6500円。洗濯、乾燥各100円。
35日目
2013年(平成25年)4月14日 日曜日
愛媛県(伊予の国)最後の札所65番三角寺へ
6時50頃女将に見送られて松屋旅館を出る。
小さな地域の神社、民家の立派な塀、懐かしい木板の戸袋と雨戸などそれぞれに愛おしさを感じる。
この先、コンビニが1軒しかないから食料を買うなら気を付けてと言われたが3軒あった。
どこも出店競争は激しい。それだけトイレもお借りできて助かる。
遍路ゆかりの建物、石碑等も目に入る。
松山自動車道を越え、段々登りとなる。
公園(戸川公園?標高110m)を過ぎる。
石を使った塀というよりお城の石垣というのもあった。
段々人家も減り、落ち着いた道となる。
広い駐車場に出る。そこに寺(標高500m)の山門につながる階段がある。
一般に車遍路の駐車場は歩きの道とは離れているがここでは通り道にある。
タクシイでのお遍路さんを見たのは初めてかも。
山門に11:44到着。
調伏を行った三角の池については別にまとめている。
三角寺から椿堂へ向かう。
12時半ころ出発。
高い標高のところを横移動というイメージだ。
三角寺と椿堂のほぼ中間あたりにしっかりした休憩処(標高220m)もあり、地元の人に感謝。
気がつかなかったがテーブルの左のカーテンのところはベッドになっているようだ。
椿堂
ここは番外霊場だが昔から多くの人が立ち寄り、多くの人から好評を受けている。
「3月11日から歩き始め今日ここに着いた」と言うと感じの良いご住職は「震災の日からですね」と言い、「歩きの人から納経料はいただかない」と、逆にお菓子をもらった。
かっては宿坊もしていたらしいが今はやっていない。
椿堂を出て宿に向かう
自転車用の緑色のステッカーはお気に入りだ。
椿堂(常福寺)の先、192号を通って雲辺寺口へ向かうわけだが、途中七田のあたりでコースは3つに分かれる。詳しくは地図(同行二人)にあるが池田町佐野に泊まる人は境目トンネルを選ぶものと思われる。855mと長い。
登り口手前1キロほどのところにある池田町佐野の民宿岡田屋が有名かつ評判がとても良い。
ぜひ泊まりたいと申し込んだが満員謝絶されてしまった。
宿はこの一軒。ガッカリかつ困ってしまった。
この場合、登り口よりかなり先になってしまうが民宿白地荘というところまで行き(送迎あり)翌日また送迎地点まで戻って歩きを再開する方法をとるしかなく、そうすることにした。
結果的に悪くはなかったと思う。
宿の人はもてなしの気持ちがあり、車中いろいろなお話も聞けたし。
・菅元総理の時も随行者が多く(秘書,警官、記者など)岡田屋に泊まれなかった人は白地荘に分宿した由。
・ある有名な女性が歩きで遍路をしたと発表しているがそのあたりの日、この近在の宿に泊まった形跡がないとのこと。なるほど、宿同士の連絡でわかってしまうのだ。ワープしたのかな?
・池田高校の野球について。「地元の子はだめですよ。田舎の山の子は車に乗ってばかりで都会の子よりかえって甘やかされている」とか。
宿はかなりの高台というか傾斜地にある。布団の重なる素朴な部屋であるが、こたつもあり
ほっとした。
民宿はホームページも作っている。食堂の写真を3年ぶりに見て懐かしくなった。
2016.7.30記(都知事選前日)