香川県(讃岐の国「涅槃の道場」)①66番~ 番
36日目 2013年4月15日 月曜日
いよいよ4県目。香川県の札所にして四国最高地点にある66番雲辺寺を目指すことになる。
といってもここは県境、住所は入り組む。
今朝の出発する民宿「白地荘」も雲辺寺も住所は徳島県三好市池田町。
民宿ご主人は勤めに出ているので客は奥さんの運転する軽自動車に2回に分けて岡田屋地点まで送ってもらい、そこからまた歩き出すことになる。
奥様も気さくな方。車中で私ごときに,わけあって娘の息子の面倒を見ているが学校(大学?)は地元の学校にさせるなどと語った。
岡田屋そばに到着し歩き始める。
改めて岡田屋をじっくり見、評判を得るには建物という外形ではなくソフトだと思い知る。
登り始めから600m以上の高低差はあるが道中の行程がきついという印象は残っていない。距離がないからかも(5キロ位)。あるいは足ができているからかも。写真もほとんど撮っていなかった。
車道に出、お寺に着く。
お寺はかなり裕福に見える。
足元を見ると単なる通路にまで質の良い御影石を使っている。
ロープウエイもあるし札所最高地点ということで参拝客はとても多そうだ。
次の67番大大興寺(だいこうじ)へ向かうことにする。
といっても雲辺寺のキャンパスはとても広い。高野山のごとく高いところでありながら広大な平らな敷地を有するというのは恵まれていると思う。
中国の真似をした五百羅漢の羅列はいただけない。
五百羅漢はここまでとの標識に続く無線中継所にアレ!という感じを受ける。
天空の遍路道
このすぐ先から始まる旧遍路道はとても良い!。縦走登山のような快適な尾根歩きを体験できる。
ほとんど同一高度(900m)での歩きとなる。
樹木,遠景等好ましいことこの上なし。記録を読んでいると同様のことを記す人も散見。
車では味わえない、歩きでも夜ではわからない。
この日、天気は良かったが、高所ゆえ天候により別な風景を目にすることもできる。
別の年、
小雨の中雲辺寺から見た風景は墨絵のようだった。
標高172m迄下り、車道に出た(am10時ころ)。
ほどなく民宿青空屋。空色の看板が好ましい。高原状のいいところだ。泊まってみたくなる。
札所まであと、4.8キロ。
気になる看板が。
時たま、雑誌・新聞記事にでるY会についてのリアルなものを目にするのは初めてだ。
「1Q84」にもこの会をモデルにしたと思われる組織や文化革命礼賛で名をはせた学者らしき人が登場していたことを思い出す。
ふーん、こんなところにねえ。地元の人とどういう関係でいるのだろうと気になる。
白藤大師堂
地図に載っていない大師堂を随分見る。
大師堂ってどういうものなのだろう。法人格はないだろうし宗派とも関係ないような雰囲気。
伝統的に地域集落の人が素朴な宗教心?から維持しているような感じがする。
きっとに研究テーマにしている人も、発表されている論文も少なからずあるだろう。読みたいものだ。
この大師堂、通夜堂として野宿遍路に宿を提供していたようであるが、最近それは止めたという情報もある。あてにしている人は要調査。
大師堂から30分ほど歩き、日影がほしいと思ったころ開けたところに休憩所があった。行動4時間経過もしており昼食場所にもいいので入った(10:59)。
遍路休憩所というより地域の懇親の場にも兼ねて使われているような様子だ。
一部漆喰の壁にしてあった。
ご近所のおばあさんが話に来た。一人暮らしの様子で人恋しそう。建築家の息子さんは都市部で働いている模様。しゃれた広いウッドデッキの家主かな?
私の宿で用意してもらったおにぎり二つのお弁当の貧しさぶりに同情してくれた。
民宿おおひらの前を曲がって67番大興寺到着。
真言、天台両宗に縁があり、本堂の左に弘法大師堂、右に天台大師堂があるとは知らなかった。
自転車旅行の青年
帰り、仁王門前の石橋で休む自転車日本一周中の青年に遇う。千葉県松戸市の人。
とにかく物凄い荷物。背にもザックが。前は南の島で働きながらしばらく暮らしていたとのこと。
ブラック企業を辞めた大阪の青年も合流してしばらく3人でおしゃべり。荷物が重いので自転車では山には登れないとのこと。
12時ちょっとに次の68・69番へ向かう。
鯉のぼり
素朴な休憩所
大平正芳記念館もあった。
財田川にかかる三架橋を渡る。
到着 大興寺から9.5キロ、2時間40分の距離
一寺二霊場の札所
両者とも宗派は真言宗大覚寺派、開基は日証上人(8世紀 法相宗)
二つの札所があってまごつく。
こちらは68番神恵院(じんねいん)の建物
左側に大師堂、右奥に白く壁のように見えるのは平成14年にできた本堂入口の外壁?
中に入ると普通に見える本堂が。
モダンさをねらっているのだろうが、宇治平等院のミュージアムのようにはしっくり感じられない。
69番観音寺
寺名が住所の市名になっている(観音寺市八幡町)。
左が大師堂(68番本堂の右位置となる。)、右が本堂。こちらの方が落ち着く。
70番 本山寺へ向かう
財田川に沿って4.5キロ。1時間10分の距離だ。
水量はあまりなかったが、水鳥が情緒ある。
漠然と同じ種類の鳥かと思っていたがよく見ると違った。修学院離宮の大きな池で見たものがいた。
到着
五重塔もある落ち着いた雰囲気だった。本堂は国宝(鎌倉時代建立)
今日の宿はお寺のすぐ隣、一富士。
外観は御地味だが中はしっかりしていた。
女将と娘さんも感じよかった。
窓の下には山門が見える近さだ。
無事66番からきりの良い70番まで歩けて感謝
(岡田屋の前を06:05に歩き始め、16:55宿に到着、歩いた距離28キロ位。)
37日目 2013年4月16日 火曜日
泊り客は私一人だったようだ。
6:45頃玄関前で記念写真を1枚とって宿を出る。
3月11日に歩き始め、月が替わって半月を超えた。
こんなに家に帰らないのも、旅を続けているのも、いまだかってない体験。
世の通常の営みから逸脱している。
ふわふわとさまよっているよう。
歩く
変哲無き車道の道端を
歩く
古い細い道を
おや学校に向かう小学生。そうか新学期が始まって2週間。
ふと我に返る。
また歩く
手前の道の駅(ふれあいパークみの)を通り71番弥谷寺に到着。
歴史と文学
71番辺りから多くの札所が近いところに点在する。
昔から人が多くいて歴史も浅からぬことを意味する。
文学其の他で取り上げられることも多い。白洲正子氏はその著「西行」でかなりのページを割いているがこれについては別に書くとして、ここで辰濃氏が71番について説明しているところを紹介しよう。新聞記者らしく簡潔な文章となっている。
「71番霊場弥谷寺(いやだにじ)は、古来死霊の行く山だといわれている。いまでも、死者の霊をこの寺に納めに来る人がいるという。寺の裏山に行くとすぐ、暗い樹林の下に墓が立ち並んでいる。
かってこの寺は、死霊のただような、こんな雰囲気だったのだろうか。」
山の傾斜面にある狭隘な平地を利用しての敷設となっている。
寺内でも急な階段を使っての移動が不可避となる。
2016.8.27記