18日目 2013年3月28日木曜日 高知県その3
土佐久礼→ そえみみず遍路道→ 床鍋→ 影野→ 道の駅あぐり窪川→37番岩本寺
宿帳に名前を書く気にもなれず、無記名のまま土佐久礼の宿をあとにする。
岩本寺への遍路道ルートは「大阪」と「添えミミズ」に分かれるが、たいして考えることもなく添えみみずを選択した。
あとで地図を見ると添えみみずルートはピークに305mと409mがあるのに反して大阪の方は287m一カ所となっているので添えミミズは難コースと思われているのかもしれない。
そんなことはなかったが。
途中の景色も悪くない。
添えミミズ休憩所
石橋さん(女性、2006年に69歳で没)を追悼してできたものとの新聞切り抜きが掲示してあった。
それを読み、ジーンとくる。
家族としてはこういう形で長く思いを伝えたいだろう。
(昨今、坂東三津五郎、柳生真吾、今井雅之、今いくよ、等々有名人のがん闘病死の多いことを併せ考える。明日は我が身か 2015.6.1記)
この小屋のすぐ先に石橋さんがあえぎながら登った急な遍路道が始まる。
添えミミズルートを進む。一部高速道路を横切るところもあり、その箇所はやけに整備されている。工事主体も長い歴史を持つ遍路道の取り扱いに気を使ったことだろう。
一般道56号に出る。
ようこそ窪川へ、とある。
四万十市まで○㌔ともある。
このあたり分かりにくい。旧窪川町は現四万十町で四万十市(元中村市)とは別の自治体。
こういう名称設定は混乱を招くぜよ。
56号線を進む。影野小学校前を通る。遠くに見える頑丈そうな建物は体育館か?。二重屋根のようで興味が湧く。
どうもこのままでは37番岩本寺に早く着きすぎるようだ。10キロ先の佐賀温泉まで行けるが¥8800円と遍路向きではなく、また、岩本寺に関心があるのでゆっくり行動することに。
手前の道の駅「あぐり窪川」で何軒かの知り合いに文旦などかんきつ類を送る。
昼食にコンビニで弁当を買ったが、お接待と言ってお茶のペットボトルをいただいた。感謝。きょうはほかでもリポビタンを2瓶いただいた。土佐久礼の嫌な思い出も薄れていく。
それでも二時ちょっとに岩本寺山門に着いてしまった。
車で行くのと歩いて到達するのではずいぶん違う。参道がこんなに狭かったとは。そして青果店があったとは。
19日目 2013年3月29日 金曜日 高知県その3の続き
37番岩本寺→佐賀温泉前→黒潮町民宿みやこ
昨夜岩本寺の宿坊に泊まったのは多数派の団体さん*のほか個人の歩き遍路は何度かお会いしている愛知県のOさん、千葉県白井市のSさん、?(記憶になし)、若い女性と私の5人であった。
皆で簡単なミーティングとなる。
Oさんは積極的に自分の住所の入った名札を全員に配るが、女性からは自分を名乗ることなし。部屋はこぎれいな個室で感じいい。
岩本寺朝の勤行
朝6時ころから集まって住職主催による宗教的行事
電気を消し、本物の火を焚き、真言を唱える。
火を前に一同が
オン コロコロ センダギ マトウギ ソワカ(薬師如来)など真言の合唱というか唱和する様は迫力がある。サンクトペテルブルクのロシア正教寺院でみたカルト的な感じをも思い出す。
ここの本尊は歴史的背景もあって5尊で真言も5種類あり、唱和も5種類だったと思うが私の理解できたのは上の1種のみ。
*野宿遍路,団体遍路のことなど
歩き遍路は車遍路を低く見、野宿遍路は宿泊り歩き遍路に優越心を持つ傾向も一部にあるがいかがなものか。
多くの野宿遍路はドロップアウト派であり(学校やめた、会社辞めた)、もとから宗教心は極めて希薄。出来上がっている既存の遍路形態を利用しての超個人的自己実現というのが多い。それが悪いというのではない。それも広く受け入れているのが四国遍路のいいところである。遍路の形態で序列を考えるのがおかしいと思うだけだ。善根宿やお接待を享受するならもう少し謙虚さ・おおらかさを持ってもいいのではないか。
夏山一般登山はレベルが低いと、冬季、単独、北壁、高所、無酸素登山とどんどん特殊な方向へ進みそれこそが本格登山であると偏狭な思いに取りつかれている人と似ているものを感じる。
宿坊に泊まる団体さんの多くはバスで巡拝し、歩くのは駐車場と本堂・太子堂の間だけかもしれない。しかし、多くの真言をそらんじ、その宗教心は本物だ。
長いこと楽でなくやめたいと思ったことが何度もある仕事を続け、おばあさんと呼ばれる老齢の域に達して初めて長期の休みを得て感謝の心にみちたバス遍路を行えるようになったのだ。歩き遍路を見て素直に「偉いね」「すごいね」と感動する。その裏のないおおらかさに「やーめた」の遍路より神々しさを感じることもある。
ご住職はなんと音楽大学で声楽を学んだ?気さくな人。
100年前の納経コピーを見せながらのお寺の歴史など、宿坊ならではの有意義なお話であった。
その後、場所を変えての朝食となるが各自の席には奥様からのプレゼント(袋・おかし)が置かれているなど心のこもったもてなしであった。
洗濯代200円、乾燥代100円。
記念写真を撮って7:05出発。割と涼しく助かる。袖付白衣の下はまだ長袖だ。
いろいろ写真を撮りながら歩く。桜の下を歩くなんておじさんでも様になる。
熊井トンネル
上の左写真に見える小さなトンネル,古く明治時代に作られた何かとコメントされる有名なものだ。注意しないと地図上にも見いだせない。
小学生がレンガを1個づつ運んだ、始めて見た人が入口より出口はずっと小さいと言ったとか。本に書かれ、ここで記念集合写真を撮るグループも多い。
熊井トンネルから30分ほど、歩いて「ウマ子の車」という意味不明のプレハブチックのお店で3人昼ご飯。地図には載っていないが「とささが」の駅に近いらしい。
うどん(350円)を食べていたらそこへなんと秋田のHさんが顔を出した。イヤー懐かしい。
秋田二人組のもう一人のFさんは足の状態が悪くリタイアしたとのこと。残念だっただろう。
お店からお接待にチョコと甘納豆をもらった。
この先、海を左手に見ながら進む。民宿やホテルが多い。夏はにぎわうことだろう。
予約してあった民宿みやこに到着(3:55)。
皆さんは3キロくらい先まで行くとのこと。
なんだか取り残されたような淋しく変な気持。
お客が少なくがらんとしている。
あとから女性客が。手拭いを帽子とする岩本寺であった人のようだ。素泊まりで、口をきくこともない打ち解けない人。ふすま1枚の隣の部屋。気を使ってしまう。
夕食は6時から2階の喫茶店で取る。結構おいしかった(カツオとカツがメイン)。
今日は31キロの歩行。歯ごたえがある。19日目にして右足指に水泡ができていた。
洗濯100円、乾燥機100円、宿代5200円
20日目 2013年3月30日 土曜日 高知県その3の続き
黒潮町民宿みやこ→土佐清水の民宿くもも
道の駅 ビオスおおがた付近
広く開けたところが続く。ふるさと総合センター、ネストウエストガーデン土佐などの前を通り、蛎瀬橋を渡って四万十大橋に向かう。途中で、一人に追いついた。
歩いているとのどかな風景を体で味わえる。ガラス越しに見るのと違う。いいなー。
四万十川も遠くない。
あの全国区的名所四万十川に着いた。
四万十大橋から風景を撮る。
四万十市と土佐清水市の境を通る1620mの長い新伊豆田トンネルを通る。
普通の使い捨てマスクは効果が薄いので活性炭入りマスクを用意しておいた。よかった。
一種の要衝ともいえるドライブイン水車のところに到着。
どこか落ち着きのないポイントだ。真稔庵へのルート入口もあり、真稔庵までさほど遠くない距離だが、後日三原村へ向かう時に行けばいいと思って今日はパス。
しかしその後日、違うルートを通ったので行くことはなくなってしまって残念だ。
見えてくる海の色がずいぶんと青くきれいになってきた。
そして,だれもが重きを置く民宿久百々(くもも)に14時48分到着した。
今日の民宿から民宿への歩きが終わった。
玄関を開けると今日泊まる人の名前が書いてあった。遍路宿で初めてのこと、うれしい気遣いだ。
室内は決してきれいというわけではない。臭気、料理の向上も期待したい。しかし、女将は遍路についてのてきぱきとした指導性を持ち、瞬時に遍路客の脚力や健康状態を見抜く力も持つ。そうだ、山小屋の主人に近い人だ。
部屋に炬燵があり、久しぶりにほっとした。宿から金剛福寺へのルートを案内するカラーの地図もくれた。肝心なところでの十分な気配りは追随を許さない。
美しくない足の写真で恐縮するが、このところの足のテーピング状況だ。幸い、靴擦れもマメもできず、ほぼ無傷なのでこのまま続いて欲しいと日々テーピングをするようになっている。
伝説の姉妹遍路
これから、あるいはいつか四国遍路に出かけたいと思う人は検索で出てくる遍路日記を興味を持って読む。私も当然そうだった。
その中で、妙なことに全く関係のない日記でありながら、同じ姉妹遍路について書いてあ
るものがあった。
その描写、評価がすごい。
まるで神様、お姫様、観音様のような見方。娘巡礼記の高群逸枝に対する老人のようなま
なざしだ。
少し引用させていただく。
始めは2003.3.27の男性のもの
食事が終わってからも、食堂でしばらく皆と話をして過ごす。
話題の中心は遍路の荷物の事で、結果的にはあの格好の良い“千葉の姉妹”の事になった。毎年歩いているそうだが、今回は逆打ちをしているという。女将さんの話ではとても
仕付けが良く出来ており、宿での態度がとても良いと言う。
お遍路さんの鏡の様な存在であると言う。
親父さんと話していて“千葉の姉妹”が話題に上がったが、殆どの人が姉妹に会っている様だ。
みんなも「良い娘さんだ」と誉めている。親父さんの話では「家の息子の嫁にもらいたい!」というお遍路さんがたくさんいるそうだが、自分もそう思う(我家には独身の息子が2人いる 。
次は2011年の女性の遍路日記
遍路キラキラ一人旅:永井典子さん。8年かけて回った方。
時間をかけただけ中身の濃い文章となっている。この点、早いだけの遍路に対する反省を
促すものともなり得ている。
親しみやすく上手な文章で惹きつけるものがある。フリーアナウンサーという人前で話すプロのそのうまさを文章に置きかえているかのよう。
少々長くなるが以下引用させていただく。
2人の女性遍路がやってきた。
すぐそばでお経をあげはじめる(ここは、ご本尊と納経所が同居しているのだ)。横で2人のお経を聞いて驚いた。ただものじゃない!
素人とはまったく異なる、その声、そのリズム、そのお経のあげ方!
(きゃー、「尼さん」なのかー、この2人?)
菅傘も、私たち一般遍路のと違って、丈夫そうで、上等そうで、すっぽり顔がかくれる編み笠タイプなのだ。
「へー、尼さんの二人遍路なんてカッコイイ!」とおもわず見とれてしまった。
2人はその後、いざりの松のある休憩所で、私に声をかけてこられ、
「今日と明日の宿は、早めにとったほうがいい」と教えて下さった。
「いらないものは、即、郵便局から送り返しちゃうので荷物が小さいの」と言って、軽軽(かるかる)スカスカぺったんこのリュックを背中に張り付けて、颯爽と去って行かれた。かっちょいーい!
それに比べて・・・。ぱんぱんに膨らんだデカイ荷物を横にころがしたまま、一人ボーゼンと座ってる私の姿。(差ぁついてるなぁ)
「でも相手はプロだもん、しゃーないや」(この時はそう信じていた)。
その日は同じ宿になったようだ。
この宿を教えて下さった「プロ遍路」の2人(尼僧さんだと思ってた2人連れの女性)も、とっくに着いておられた。
夕食の時、話を聞いて、「尼」ではないが、「遍路5回目」のほとんど「プロ遍路」(遍路のプロという意味。私が勝手に銘々した)だとわかった。
2人は姉妹で、これまでは毎年お母さまと3人で歩いておられたそうだが、今年は2人だけだから、「ちょっとがんばって、別格番外霊場20ヵ寺も全部踏破する」のだとおっしゃる。(すごい!)
千葉から、毎年やってきて、40日ほどの日数で88カ所全部まわって帰られるのだそうだ。(すごすぎる!)
明日も宿は同じ所に泊まる予定だが、私とは、出発時間も歩く距離もぜんぜん違う。「奥の院」の方もまわるらしい。
(お姉さんの方は私と同じくらいの年齢だと思うんだけどなぁ。エライなぁ)
この姉妹、とても礼儀正しく静か。だからよけい「尼僧さん?」と思ったのかもしれない。
伝説の姉妹遍路とくもも
食事は1階の畳の広間
コーヒーも飲める。
壁際に棚があり、書籍類が並べてある。
来た人が出版した本、例えば辰濃さんの岩波文庫や自費出版した本が何冊もあった。
この宿に送りたいという気持ちを起こさせる何かがある証拠だ。
見ていると数枚の手書きのA3かB4の手作り資料がパウチされて置いてあった。
エツ!と声を出してしまった。
あの伝説の姉妹遍路のものだった。
平成8年4月4日から5月15日まで母を含め、3人で遍路したときの行程表だった。そうだ、まだワープロ、パソコンが一般化される以前の時代だったのだ。女将に聞いたところ、このところ来ていないとのこと。あちこちで息子の嫁に欲しい言われるような人。きっと良縁に恵まれ育児で忙しい年代なのだろう。何時か子供をつれ、あるいは子供が大きくなったらまた遍路を再開してほしい。
行程表を拝見すると、20日目、民宿みやこを5:00に出て久百々に14:53に到着している。行程・時間とも私とほぼ同じで親近感を覚える。36.7キロを母とともに3人そろってこの時間で歩けるなんて慣れているとは言え、大したもんだ。
(2015.6.14)
21日目 2013年3月31日 日曜日 高知県その3の続き
土佐清水の民宿くもも→(西回りで足摺岬へ)→38番金剛福寺→(東回りで打戻 り)→土佐清水の民宿くもも
21日目は東回りで足摺岬38番金剛福寺まで行き、同じ道を打ち戻って久百々に連泊する予定としていた。
秋田のHさんも同じ行動予定だというのでご一緒することになった。40キロ越えのかなりの長丁場となるので朝食抜きで5:35出発。
大岐海岸が長く、印象に残る。サーファーが好む浜らしく良さそうな波、シャワー施設をちらと眺めながら歩く。
今日は打ち戻るということで荷物も日頃の半分。ザッグはペッタンコ、前に吊るすバッグもなしだ。
自分の写真を撮ることは極端に少ないが、浜でHさんに撮ってもらった。
そのあと、ちょっとした悲劇が。
道に迷いやすいと言われカラーの地図までもらいながら、道路工事らしいものがあり、間違いを誘引しそうな大きな観光用立て看板があったこともあっていい年をしたおじさんが二人いながらその間違いやすい窪津あたりで見事に道を間違い、西回りの清水港に向かう道を進んでいたのだ。
どうもおかしいと気づいたがもう遅い。えい、面倒だ。足摺岬を一周しようということになった。
しかし、この間違いは結果的に良かった。
西岸の風景は明るく、見どころも多く、東岸より優っていたのだ。
27号線を歩いているうち、向こうの山道から降りてくる懐かしい遍路の姿が。
39日で回ると言っていた船橋市の俊足Oさんだ。思ったほど差はついていなかった。
歩いてきた遍路道の状況は好くなかったといった。
ばったり会った場所は遍路道が27号線と出会う地蔵尊、バス停払川橋あたりだったかもしれない。
Oさんの話、そしてもう道に迷いたくないのでこのまま車道を行こうということになった。
しかし、その車道27号線ははくねくねときわめて迂回の多い遠回りとなる。あとで地図を見てわかったが払川橋から松尾小学校までだと遍路道の2倍以上の距離にるようだ。
ツツジ、リアス式海岸のような入り江など目を和まさせてくれる風景は好かったが。
12:17第20号足摺遍路小屋通過。
岬中心地に近づくにつれ、建物が多くなる。熱海のような雰囲気だ。
お寺以外に一つだけそのにぎやかさに期待していたことがある。
薬局だ。
このところ毎日、両足の先端をくるむようにテーピングしているので消費量がとても多く残り少ないのだ。
今日買えなかったら大変なことになる。地図にあった薬局に行くと、なんと休み!
どうしよう。
13:09 38番金剛福寺に到着。 37番から実に95キロ。2泊を要したたわけだ。
寺内の雰囲気はいただけない。お金の入りがよいのだろう、成金の庭石自慢のよう。
ストイックなものはないか探し出す。
納経所で、窮状を訴えたら、なんとその休みの薬局の電話番号を調べてくれ、頼んでみたらとアドバイスされた。電話をかけると、快く開けてくれることに。納経所の職員および薬局の方にご慈悲をいただいた。
結構な距離を戻ることになるのでHさんには先に行ってもらうことにしてお別れ。
急いで薬局に向かう。丁度シャッターを開けるところだった。感謝この上なし。
さあ、いよいよ打戻の開始だ。
Hさんは岬先端の観光スポットを見学していたので合流できた。いよいよ一路久百々へ。
東岸は出発地点から樹木に覆われた道となり、西岸とは趣が異なる。
ピッチを上げ、急ぐ。13時過ぎから20キロ超えの1日コース、なかなか近づかない。
日が暮れた。宿に電話をして遅れることを告げる。車でのお迎えは受けたくなし。
着いたのは19時少し。
みなさん食事は済んでおり、愛知のOさんが待っていてくれたのには驚いた。
今日の総括
前述の千葉の姉妹遍路の行程表を拝見すると、
1日目は東回りで22.4キロ歩いて1泊 2日目は23キロとなっている。
当方は23キロ+車道故の大回り数キロ(西回り)、22.4キロ(東回り)計約50キロを1日で歩いたことになる。前日は36キロ歩いているし,2日で90キロ弱はこたえる。へろへろになるわけだ。
明日、果たして歩けるか心配になった。
22日目 2013年4月1日 月曜日 高知県その3の続き
土佐清水の民宿くもも→三原村→39番延光寺→民宿嶋屋
一晩で何とか回復。女将、心配したらしいが一目で足の様子を見て取った模様。鋭いなあ。
食事を取る人も多く、満員の模様。
女将、一同の写真を撮る。いつもそうしているらしい。
ペットボトルに水を入れてもらって一番遅いくらいに出発。
今日は4月1日、月の変わりだ。そして既に500キロを歩いていることを意識する。
宿の勧めもあって321号を5キロほど打戻り、真稔庵より手前の五味橋から三原村を目指すこととした。
歩く人も、土地の人の姿も見えず、淋しい。
若い人が外に出たいと思うこともやむを得ない感じがする。
逆によそ者が魅力を感じることもあろう。
歩いていて足元に美を感じることもある。枯葉と椿の組み合わせもその一つ。
このあたり、人工物が少なく、自然物が多いのでわかりにくい。
看板地図がわかりやすい。ただし、クロウサギは載っているが南分校跡は載っていない。現在地の少し先にある姥瀧さんと天満宮は載っている。後掲写真参照。
丁度12時になったので、姥瀧さん前の石垣にもたれて久百々からお接待いただいた昼食とする。
子供が何人かそばにいて少し会話。可愛いなと思った。
最近、役所の合築が多いが三原村役場は消防署まで一緒でびっくり。
バス停留所兼休憩所もいろいろで面白い。
ところで、役場から遠くないところだったと思うが、スカートをはいた若い女性が歩いているのを見て感動し、そういう自分に驚いてしまった。
久しい時間、目にする人は作業服・普段着の年配者ばかり。都会・OL風のスカートをはいた若い女性は最も目にしていなかったからだ。慣れない光景になっていたのだ。
都会から四国に戻った女性が有名カフェのコーヒーを飲むため鉄道で半日かけたという話がわかってきた。
ダムがあるとは思わなかった。「梅の木公園・三原村いこいの森」となっており、立派な休憩所、トイレがある。
平田の町に入る。延光寺は遠くない。
鶴の家旅館の前56号を左折。間もなく右に曲がり田んぼの脇の道を進む。高速道路の巨大な足が建設中。できたら雰囲気は芳しくなくなる。
4:15頃お寺に到着。何と愛知のOさんが待っていてくれた。そういえば今日は途中、誰にも会わず、話さずの孤独な遍路だった。
Oさんの宿は平田駅のそばらしくこれから戻るとのこと。
歩き遍路同士の着かず離れずの友情は絶妙。
久しぶりに本堂、太子堂の写真も。
花もきれいで良い思い出となった。
これで土佐の国の巡拝は終わった。札所の数は16と少ないが、距離は384.6キロと4県最長で、軽くはなかった。雑誌がはしょりたくなる気もわからないでもない。
記録を書くことも楽ではなかった。一段落でほっとする。
(記 2015.6.21雨の日)