樋口一葉と本郷4丁目

⑧ 終章 桜蔭、一葉と女子教育

 

1 水道橋までやってきた。丁度下校時間のせいか桜蔭の女生徒が一斉に駅に向かうところだ。

 

 

 

むー、顔つき、雰囲気が昔と違う。

 

お茶大付属はベルトで(今は使っていない模様)、お茶大(東京女高師)OGが創設した桜蔭は胸章(桜)ですぐわかるので女子校に縁のない者でも昔から拝謁している。

元々桜蔭はそこそこ出来がよく評判は悪くなかったが昨今のように東大に〇〇人、国立大医学部に〇人とその進路実績が週刊誌の話題になるほどではなかった。

 かってとまるで雰囲気が異なっている。一口で言えば知的雰囲気が圧倒的に向上している。

麻布のようにスレた不良っぽい雰囲気もない。

と、桜蔭礼賛で終わっただろう。少し前までだったら。

 

しかし一変。

 

「このハゲー」の豊田議員は輝くOG。

年上の男性に対するこれほど酷い暴言、侮辱、暴行はあまり例がない。

 

彼女一人で判断するのはいかがなものかとも思えるが、最近の高学(校)歴、高難易度資格職種の女性に適格性不十分の人が目立つのだ。

よく勉強して偏差値の高い学校へ進むことをただいいとは言えない気がしてきた。

知識・教養習得向上と同時にその劣った者への侮蔑意識増強に努めているかのような感じすらする。

 

 豊田議員の発言が公になった後、羽鳥さんの朝の報道バラエティーでコメンテーターのおばさん(東大法学部、検事を経て現在弁護士)が意味不明なことを言った。

「彼女=豊田議員はエリートではない。準エリートよ」と。

エリートになれる器で無いから不始末を起こしたというのであろうか。エリート頂点への距離が結果を左右するような言い方で理解に苦しむ。

 別の日、はるかに若い美人女性弁護士(東大法学部卒)が若狭さんの発言がさえないことに対して「東京地検特捜部副部長までした方が」と批判していた。職歴の高い低いとの関係で言うことに違和感を抱いてしまう。

 片山さつきも全国模試で1番を獲ったとか言っているが政治家としてのその発言レベルは宮崎県知事になったお笑い芸人をはるかに下回る。

世間もマスコミもいい加減、学(校)歴で人をレッテル張りすることは御止めになるべきと思うが。

民進党を廃党へ誘ったのは前原氏ではなく、幹事長になるはずだった週4回の山何とか氏(東大法学部卒、検事を経て弁護士)だと思う。

 

2 一葉と教育(以下続く)

 

  一葉の両親は田舎で農業をしていた出だが駆け落ち同然に江戸に出てきた。

 父はとても向上心に富む人で貧しい中懸命に働き、貯蓄をし、380両の大金で武士の身分を買っている。

 坂本龍馬や勝海舟も父祖が武士の株を買ったと記憶する。金で身分を買うなど今の感覚からすると下品にも思えるが江戸末期ではそうでもなかったようだ。相撲の親方株に近いのだろうか。

 下級武士でない大名クラスでも良家の養子になってからより上層への縁組をするということが多かったし、ちょっと違うようだ。

 

 そんな父だから出来の良い一葉には学問を受けさせてやりたかったらしいが貧しさもあったせいか一葉の教育について両親は夫婦喧嘩をし、母は女に教育は不要、教育を受けて変な女になるより家で裁縫その他女としての素養を身に着けるべきと主張し、結局一葉は小学校4級で学業を終えることになってしまった。

 一葉が日記でこれほど悲しいことはなかったと書いていることは有名。

一葉、その後の勉強は私塾と図書館(歩いて行ける今の上野の子ども図書館の場所)での自習のみ。

優秀な一葉には後に歌の私塾で講師にもという話があったが低学歴もあり実現されなかった。何とも哀れ。

 

 蝶よ花よと愛され、塾だ予備校だとお金をたっぷりかけてもらって偏差値の高い学校に行き、難しい資格を手にし、その挙句「ハゲー」発言、6歳の子供より9歳年下男性との「週4回」優先では。

 これなら一葉の母の考えが正しいことになってしまう。

 

2017,10.6記

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⑦JR水道橋駅に向かって小石川へ

 

 本郷4丁目も変わりつつある。相続発生が原因か更地もポツンポツンと目に付く。

業者はまとめてマンションにしたがる。

 4丁目の風景もそのうち変わってしまい金属の説明板しか残らないようになるだろう。

 

トヨタ東京本社提供緑地

 

帰路に就く途中、一カ所もう一度見たいところがある。

東京ドーム、小石川後楽園の隣地にあってほとんど注目されないトヨタ東京本社提供緑地がそれ。

 饒舌を排し、良い樹木をバランスよく列植していて上質で端正な区画となっている。むしろ後楽園以上かもしれない。

後楽園の長い塀の脇を歩いて東京本社前まで歩く。

 

 

 これがその一角。

先に小石川後楽園の白い塀が見える。

 2017.10.3記

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⑥ 本郷の寄宿舎 常磐会跡があったとは

正岡子規が脳を患い(鬱病か)、房総旅行に出かけたとき住んでいたのが旧藩の寄宿舎常磐会。

まさかその旧跡がそばにあるとは。

子規の作品をそんなに神格化するのはどうもと思う自分であるが感激してしまう。

場所はこれまた至近距離。

まるで明日香村の遺跡のよう。

行ってみるべし。

菊坂下通りを右折して炭団(たどん)坂に進むらしいが、またわからない。行ったり来たり。

歩いている人に聞く。

「この道。案内板もあるよ」と教えてくれた。どうも通りすがりのよそ者は少ない感じ。そこが観光地と違う。

急階段を登る。

少しおしゃれでモンマルトルの階段に似ている。

低い窪地から高台に出ると雰囲気が違う。登りの右手が旧跡で案内板もあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建物を囲むように道が通っている。撮影している人もいた。

今の建物は何なのか。都心の億ションか。

表示がはっきりしない。

 

本富士警察署の職員寮?えー!

少し広い道に出た(鐙坂:あぶみざか)。もうちょっと雰囲気を味わいたいので歩く。

あれ、なんだこの不可思議な路地入口は。屋根付きの門が何とも。

樋口一葉旧居前の石階段を登ったところにある狭い路地はここに出てくるのだ。

魅惑の迷路。

私道扱いか。1万分の1の地図にも載らない。

逆方向から撮るとこう。

 

あぶみざかの説明

 2017.10.3記

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⑤菊坂と宮沢賢治ほかの文人

菊坂は一葉の作品に出てくる重要な地名。

その下の細い道はなんというか地図に載っていないのでわからなかったがお寺の前にある解説板で分かった。

 

     菊坂下通りと言うようだ。

一葉宅への路地に入らず少し先に行くと宮沢賢治の住んでいた住居跡に出る。

菊坂と菊坂下通りを結ぶ階段に立派な解説板がある。

右手建物の2階とはこれだろう。元の家はマンションになっている。

 

後にも出てくるが、こうも狭い地域に文人が輩出しているところは他にないのではないか。

関東のあらえびすとしては京都奈良の寺院密集に感嘆しコンプレックスすら抱くところだが、東京の有力大学そばに位置するこの庶民の暮らしに向いているぬくもりある地域は多くの明日の文筆家誕生の地となった特筆すべき誇りうる地域と言えよう。

 明治以降優に100年を超える今、このことが一種の遺跡的ゾーンになりつつある。

④樋口一葉旧居を探して v2

 

一葉は生涯に11回ほど転居している。

ここで探したのは本郷4丁目、井戸の風景が紹介されているところだ。

質屋は菊坂に面し、本郷5丁目。

旧居はそれに並行して走る細い路を進み、右折したところにあることがわかる。

ま、そばに行けば表示があるだろうと楽観。

階段があり、それを下りれば細い道に出られそうだ。

それにしても角の下から見れば3階建ての家屋が圧巻。窓こそサッシュになっているが他は昭和初期。

 

 

しかし案内表示はなく、道に迷ったかのような雰囲気。

 

行ったり来たり。

わからず、たまたまスクーターで路地から出ようとしていたおじさんに「あのう一葉の旧居ってどこでしょうか」と質問。

 

ここだよと親切にご教授。「家は残っていなく井戸がある程度」とのこと。

 

ふーん・。・狭い路地だ。一葉親子は毎日この道を歩いていたのか。

進むと先は少し広くなっていて井戸がある。

付近の人は文字通り井戸端会議をしていたのだろう。

案内板等は一切ない。

昔はあったそうだが今撤去されている。うろうろ観光客に歩かれプライバシーを過度に覗かれたくないからだろう。

井戸の先に何やら急階段。

狭い道に坂を上ったり下りたりの街。

明治、いや江戸時代からの地形かと思うと愛しくも感じる。

逆方向から。

りっぱな現役の家々だが火災を考えると心配となる。

消防、区役所も対策は考えているだろうけどホースを手で運ぶしかないのか。

引き上げようかと思ったが井戸の先の階段が気になる。

登ってみよう。

登るとそこにはさらに道がある!まさに異界

垂直の高い石壁。

空が見えない感じだ。

後で来た大正12年の関東大震災で崩れなかったのだろうか。

右に路地が続き、左は行き止まりに見える。

なんだか住居侵入しているような気がするので退散。

③ 本郷4丁目と樋口一葉ゆかりの質屋

 

半日ウヲークと銘打ったが当初からそうする気持ちはなかった。

むしろ昨今あまりにテレビの散歩番組が多くそのわざとらしさにいやらしさも感じていたところだ。

が、2階でいただける資料に良い地図がありそれによると樋口一葉の旧居が近い。

これは行って見ねば。

 

 

 文京シビックセンター前の春日通りを渡る。わたってそのまま東冨坂を登るのはつまらないし,方角的にも外れる。

 

少し左に曲がって文京区民センターの脇から入っていく。

 

そこは本郷4丁目。

先日NHKブラタモリで二週連続で高野山をやっていたが、高野山町について異界だといっていた。

後から振り返ると本郷4丁目も異界という感じがしてくる。

 

住宅地的な街並みとなってくる。こぎれいな芦屋や西宮を思わせる坂道。

昭和20年、30年代的なお家があった。

エツと思うような、1mに満たない路地!

どうなっているのだろう。これほどばらばらで路地が多い街は初めてだ。

下町の旧赤線青線地区だってこんなところはない。

しかし清潔だしどこか魅力がある。

 

 

一葉ゆかりの旧伊勢屋質店

 

何処をどう歩いたか漠然とした地図なのでわからないがちょっと広い道に出た。

 あれ、撮影しているクルーがいる。

 

左先に郵便局、前にお蔵が。もしかして

父が亡くなり17歳で戸主となった一葉は母、15歳の妹を抱えて赤貧の日々。

上の案内板にあるように、風呂敷に小袖、羽織を詰めて質屋通いの日々。

 

泣かせる。

 

昨今、30代、40代の引きこもりが多いそうだが彼らは決まって裕福で優しく寛大な親を持つ。

飢えの苦しみは拷問に通じる辛さ。自分が働かなければ自分も家族も食べられないとなると必ず働く。あるいは窃盗に手を染める。

父親が性犯罪を犯して一家離散した芥川賞作家西村氏は中卒で年齢詐称して日雇い労務者となった。

一葉女所帯は洗濯や仕立物の賃仕事。

一葉が何度も足を運び、一葉がなくなった時香典までくれた質屋が昭和57年まで営業しその建物が現存することにどこか救われる気がする。

 

今、このお店は跡見学園のものになっている。奈良の志賀直哉旧居に似ている。見学可能な日程が張られていた。

 

 

 

(続く)

② 文京シビックセンター

丸の内線後楽園駅を出ると目の前だった。

こんなに便利だったとは。以前はJR水道橋駅から歩いたが中途半端な距離。歩けるけど近くはない。

隣に礫川公園。何かありそうな良い雰囲気であるがこれといってない。

後ろに中央大学。八王子の法学部が都心に戻るというがここなのか?

自転車シェアリングが動いている。

文京シビックセンター

 文京区役所がメインの建物。作るとき何かと話題になっていた(東京ローカルの話し)。

 

知人の子供が都庁で働いているといっていたが勤務地はここと聞いて?だった。

そのわけが分かった。主税局の出先、文京都税事務所がここに入っていたのだ。

利用者からしたらとても便利だろう。 

 

用が済んで13階の職員食堂へ。

 

みそ味チャーシュー麺を食べたがインスタントラーメン以下。都庁職員食堂よりはるかに低レベル。昨今どこかの学校給食のまずいことが話題となったがそういうことのあることが実感できる。

 

 

 

25階無料展望台は人も少なく見晴らしも良い。かってサンシャインで有料で見たと思うが今やそういう時代ではない。

左から新宿方面、池袋方面、緑の塊は水戸藩の後楽園(今回は行かなかった)、隅田方面。

 

以前の職場が2カ所も見え、不可思議な感じがする。

 2017.9.17記

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➀ 大手町の森

 

文京シビックセンターへ行く用があった。

今回は地下鉄で行くことに。

大手町で東西線から丸ノ内線に乗り換える。

考えてみると丸ノ内線も大手町から東京、霞が関方面には行っているが逆方向へはほとんど行ってなかった。

乗り換えのため暗い地下道を歩いていると魅力的な光景が目に入った。

大きな窓と豊かな緑が見える。

エレベーターで上がってそばに寄ってみる。

おや、外に出られるみたい。

そうか、乗り換えのためにいったん外に出ているわけだ。地下鉄では案外ある。

傾斜地に雑木林が。左端には石垣も。

知らなかった。何時できたのだろう。東京どまんなかとは思えない。

右側にはエスカレータが。

アウトドアで樹木と並んで動いているとは不思議な感じがする。

流行っている田んぼアートより新鮮。

 

雨水で平気なのだろうか。

 

傍に案内板があった。君津(房総半島)で育てて移植したようだ。

こういう自然環境を工学的に作るって面白い。

文面内容、言葉遣いはもちろん日本で一番木を植えたあの宮脇先生の説くところに寄っている。

 上に出てみたいが乗り換え途中なので今日はここまで

 

  2017.9.15記

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当園の概要

 

完全オフグリッドです。

 土地:1千数百㎡、一辺は舗装公道に面する南向き方形平坦地。病院、ホームセンタ、コンビニが其々複数あるもなぜか都市計画区域外。2002年取得

 山小屋:柱を4本建て、それに斜めに屋根をかける竪穴式住居構造。白川郷の合掌造りに似ているところもある。床は土間。 

 

電気:独立型太陽光発電 第1装置 24V1KW発電,

第2装置 12V約200W発電

それぞれ1500Wインバーターを介してサイン波AC100Vで使用。他にバッテリなしのシステムがいくつかあり。

 

水: 雨水利用:3カ所の屋根(PV架台を含む)で集水して1トンくらい貯水:下屋屋根などを活用すれば増量は容易だが使いきれないので計画なし。

飲料水:〇〇の駅で150m深井戸の検査済み水をもらえる。

 

汚水処理:新見式準拠

 

改良及び近い将来の計画

①止水(雨水)対象の簡易緩速濾過装置(今後)

②山小屋の改良

・二重屋根化(終了)

・土間床を防湿コンクリート部分と伝統的三和土部分にすること(終了)

・外壁に沿って犬走敷設(終了)

・ポリカ平板で大型ひさし(終了)

・無線ANT用パイプ設置(終了)

③小屋内土間に蓄熱のための大きなコンクリート桝+FRPバスタブを設置(終了)。これを活用する具体的方策(今後)

④厳冬期無暖房自己体温のみで過ごせること及び建物が崩壊してもその部分は現状維持が可能な小屋内シェルタールームの建設(終了)。ふだんはゼオライト、粒状活性炭の少量備蓄庫として使用。換気はDCファンと塩ビ管によっている。

⑤入口ドアの断熱・防音・採光化(終了)

⑥入口両脇に収納庫設置(終了。片側はバッテリーバンク庫)

太陽熱利用のエアヒーター(装置は数個完成)。その運用等(今後)

 ⑧ 無線通信(モービル)

430・144MHZ FM50W出力(終了)

余剰雨水を活用して平城宮跡東院庭園にある洲浜の池をイメージする小さな浅い水辺を作りたい(規模は畳1~2枚程度)。

 

 

 

 

1kw独立型太陽光発電
1kw独立型太陽光発電
初めての雨水利用
初めての雨水利用
こちらは絶版です。
こちらは絶版です。