平城宮跡を少し南に離れところに庭に興味を抱く者なら一度は行ってみたい古い庭跡がある。
その名は長い。
平城京左京三条二坊宮跡庭園
行ったのは3か月前の2014年12月。二度目だが、またもや保存整備工事中だった。
二坊宮跡庭園が世に知られるようになったのは割と新しく、古い本には載っていない。
日本庭園のDNA的なものが伺える。
桂離宮、修学院離宮、御所、仙洞御所など皇室関係の庭や宇治平等院、浄瑠璃寺などで多く見られる洲浜的手法は既にはっきり表現されている。
今回思うのは庭のデザインのことではなく、なんで石が発掘され、庭の存在が判明されることになるのか、である。
平城宮内にある東院庭園もそうだし。
自宅ビオトープのほんの一部を壊す過程でそのわけがわかった気がした。
作って、10年以上になる。
本の一部になっているし新聞で取り上げられもしたし、できるなら壊したくなかった。
が、狭い敷地。壊さないわけにはいかなかった。
そして、そのコンクリートや石を他に運搬する手間暇は大きなハードルとなる。
で、表面は削って、破砕したものはそのまま底に埋め、表面に土をかぶせることに。
何十年かしたら誰かが、なんでここにこんなものが埋められているのだろうといぶかるだろう。
貴族、大寺院の庭園であっても規模はとてつもなく大きいので余計そうせざるを得ないのではないか。
おまけ
変更前の全景です。小さいながらも、畳2畳程度の池、その南側は幅数メートルの築山となっています。池には黒メダカ、エビ、シジミなどがいます。
築山にはススキや姫リンゴ(リンゴより大きい)が植えられており、野鳥がやってくるので、クスなど予想外の木が育ってしまいます。
クスの移植はほとんど失敗します。宮崎博士の言うとおりで、きわめて難しい。
ススキは秋の虫の合唱場所となります。
格子フェンスの先は奥行数十センチの生物回廊スペースとなっています。
舗装道路に囲まれているにも関わらず、どこからともなくカエルが来てしまいます。
カエルやトンボのヤゴは黒メダカにとって歓迎できない生物です。