東福寺にある苔と切り石による市松模様の庭
とても有名
(2020東京オリンピックのエンブレムも市松模様に入るらしい。)
初めに東福寺ホームページの紹介【以下引用】
「 「方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強くなりました。当初は“東福寺方丈「八相の庭」”という名称でしたが、2014年に“国指定名勝”に登録され、改めて「国指定名勝 東福寺本坊庭園」となりました。東福寺本坊庭園は、明治十四年の火災により仏殿、法堂、庫裏とともに焼失しましたが、明治二三年(1890年)に再建され、災禍を免れた三門、東司、禅堂、浴室などの中世禅宗建築とともに、現代木造建築の精粋を遺憾なく発揮しています。内部は、三室二列の六室とし、南面に広縁を設けています。中央の間を室中と呼び、正面は双折桟唐戸としています。
広大な方丈には東西南北に四庭が配され、「八相成道」に因んで「八相の庭」と称しておりました。禅宗の方丈には、古くから多くの名園が残されてきましたが、方丈の四周に庭園を巡らせたものは、東福寺本坊庭園のみです。作庭家・重森三玲(1896-1975)によって昭和十四年(1939年)に完成されたもので、当時の創建年代にふさわしい鎌倉時代庭園の質実剛健な風格を基調に、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代禅宗庭園の白眉として、広く世界各国に紹介されています。」
有名であるが故に、多くの人がやって来て感慨深げに鑑賞
その点では竜安寺の石庭に似ている。
しかし竜安寺の石庭は一つだが東福寺の方丈を囲む庭は東西南北の4カ所
そのうち北側の庭がこれ。
重森美玲の庭をというと東福寺だけでもまだほかにある。
重森の庭づくりに関心があるならその多くを見なければとおもってしまう。
が、東山魁夷も絵にしているこの北面の庭以外はあまり一般には話題にならない。
私なりに大胆かつ無責任な批評にならない感想を述べさせていただこう。
まずはこの庭をいろいろな角度から。
もう少しアップ
苔がずいぶん盛り上がっている。
栄養・水分満点の肥満児か。
作った昭和14年はこうであるはずがない。ダイエット・散髪されたらいかが?と思ってしまう。
石は、元通路にあった踏み石だったらしい。決して高価な石というわけではない。
極論すればコンクリート平板と苔あるいは芝あるいはセダムを使ってマイホームに再現することも難しくないだろう。
右端から全体を見る。
右側に向かって切り石は少なくなる。このことに
いみもあるらしい。
左の建物は景観にとって邪魔。これを入れた写真は目にしないな。
この構図は魅力低下。
切り口でずいぶん変わる。
左端から見た全体の方が
悪くはない。
(明度差が強くお粗末な写真で恐縮だが、)
苔庭の奥には緑の壁ともいうべき植え込み。この手法も多い所だがここでは統一感がなく全体的にプラスとなっていない。
竜安寺石庭で目にする壁と上に飛び出る木立の美しさにはとてもかなわない。
いっそセレナーデじゃなかったいっそ後ろに壁を作れば引き立つと思うが。
2016.12.27記 その1
ではそのほかの3方の庭を
東庭
モダンだ。
2016年のホテルの庭にも合う。
西新宿高層ビル群の中に作らせてあげたかった。
南庭
いかにも重森らしいお庭
はっきり言って灯篭とか直立するような大きな石には興味がもてないし美しさは感じない。
京都の寺院で箱根の彫刻の森美術館的様相は見たいと思わない。
作庭者はしゃべりすぎ、自己主張のしすぎ。
ここを見ると理屈が多いといいたくなる竜安寺がおとなしく見えてくるから不思議。
⑤ 小野健吉著「日本庭園」と重森の庭園観
文化庁主任文化財調査官である氏の著書に重森氏へのまとまった記述があった。紹介しよう。
氏は近代の日本庭園を自然主義風景式庭園と芸術としての庭園に大別し、後者に属する重森の考えを説明する。
「重森の日本庭園に対す理解は石組みの象徴性こそが日本庭園の芸術的本質であり、快適性を求め、緊張感を欠いた近世・近代の庭園は芸術として堕落し、というものであった。」
「東福寺方丈南庭は庭は大地に描かれた立体的な絵画であり、彫刻であるという重森の庭園観の実践に他ならない」
重森はもともと東京芸大で画家を目指した者でそのことが影響するのか芸術性にこだわりを持ちすぎ、庭の意義を狭く解釈しすぎている。
ガラス越しに庭を見てありがたる足立美術館の考えには合致するだろうが庭は本来そんなものではなかろう。床の間の生け花ではない。
たとえ皇族、大名の庭であっても庭は本来三次元的なもので天皇、大名でもその中を自ら歩いて初めて風・匂いを感じることができることで価値が認められてきた。
重森は庭を遠くから眺める二次元的なものに退化させるように思えてならない。
皇族、大名の庭も時には身分の低い庶民に開放して見せていたが、掃き清められ一本の草も生えていない枯山水庭は身分の高い人、低い人誰も歩けない。縁側に座って眺めるだけ。
庭園民主主義なる言葉はないだろうが、最終的にはマーケットの判断によるしかないと思う。「雑木の庭」ブームは明らかに自然主義風景式庭園の流れをくむもので、しかも近時の環境志向にも合致しこれが世の人の選択するところ。南庭のようなものを所望する施主は著しく少ないだろう。
どうも一部の観念的哲学的芸術至上主義者が嗜好する鎌倉・室町時代発生の庭園観は中国禅宗の影響を受けすぎた観念性・管理性過多のもので日本的な物の考え方になじまない気がする。
2016.12.30記