そうだ奈良にも行こう ⑧手向山八幡宮
若草山を下りてほどなく右手に手向山八幡宮が見えてくる。
ここは前、正倉院を見るために東大寺に来た時目にしている。ここにも校倉造りがあるとびっくりした。
モダンなデザインだ。
この前に校倉造りが二つあって見分けにくい。
確か手前が八幡宮の宝庫で先が東大寺の経庫だった。
所管は正倉院の宮内庁を含めて3者となる。
宮内庁以外は予算不足なのか管理は手薄の感じがする。
こちらが東大寺の経庫
⑨ 正倉院へ向かって
せっかく来たのだから何回か行っているが正倉院へ行くことにした。
途中、目に入る東大寺の有名な箇所は前を通るだけにした。
法華堂(三月堂)
二月堂
二月堂裏参道
二月堂から下りになる裏参道は雰囲気が良く、ファンも多い。
築地塀と石畳。
まるでヨーロッパの古都のよう。
➉ 正倉院
ほどなく正倉院へ到着
前、見てから数年たつ。その間屋根関係の大修理があった。
正面に立つまでの門が二つ。
鉄のバリケード前に立つとスーッと警備員氏が現れる。
昨今日本の文化財に対する棄損、放火が相次いでいるからな。
何度見ても大きい。
高床式の高さが2.7mとは。
次の説明文がよくまとまっている。
入口脇のガラスケース内の説明は一般の本には書いてないことを教えてくれ、とても参考になる。
今回の修理では補強金物が相当に増強されている。
建設当初の姿でなく、一定の変容あることは否定できない。
瓦はどの程度元のままなのだろうか。
京都、奈良は何度来ても発見があり、奥深さに感慨深い。
その歴史の深さは他の地域の到底かなうものではない。
短い日数だったが、意義ある旅だった。
京都は文化財が多いので某博士の進言で原爆を落とす予定はしていなかったというのは積極的誤り。盆地であり原爆投下の効果が大きいことから№3~5の中に入っていたと最近知った。
前の戦争が太平洋戦争ではなく応仁の乱でよかった。
(2016年11月京都・奈良の旅 終わり)
2017.3.19記