山籠りクロスグレード絶賛 ①
前に「チョイ古道具ライフ」というブログを絶賛したが、こちらのブログ(山籠りクロスグレード)もきらりと光るいいものを持っていて読みごたえを感じる。
たまたまBE-PAL6月号を見たらシェルパ斎藤さんが記事を書いていた。今回は関東の88カ所巡りのことで目新しさを感じたが、もうひとつ斎藤さんが55歳になると知って驚いた。
耕運機やスーパーカブにリヤカーをつけて全国を回ったりと、面白おかしくそしてBE-PALの専属作家的人生を歩んでいらっしゃったが、青年もいつの間にか還暦になったら息子になんのプレゼントをもらおうか、などと話すお年になっている。
人柄も悪くなく、だからこそ読者もついてきて長年そのような暮らしを維持できたのであろう。
山籠りクロスグレード氏ーお名前を知らないのでそう呼ぶーの思うところ、そして彼が書く世界はシェルパ斎藤氏やドーパに連載を書いている某氏に負けないというかそれ以上のものをもっていると思う。
その魅力は何かを言い出すと他の小屋暮らしブログとの比較になってしまう。気を悪くする人もいると思うが、小屋暮らしブログについて批評なり感想を述べる人はほとんどいないようなので敢えて申し上げよう。
1 謙虚さをお持ちの点
教育の分野では子供に自己肯定感を持たせようと一生懸命のようだが小屋暮らし(ここでは持続的就業を否定し最低のコストで暮らそうとする人を呼ぶ)の人は自分の生き方に強過ぎる肯定感を持つばかりか(強がりかも)持続的就業者を小馬鹿にする人さえ少なくない。
それはおかしい。年金掛け金免除でも65歳になれば年金はもらうのだろうし、満額で6万数千円では不足ということで生活保護受給も視野に入れるだろう。
健康保険料の減額を受けていても受ける医療は数分の一でよいとは思わないであろう。
制度による受給が可能なのは多数の持続的就業者の存在があるからこそ。
生き方を改めよなどというつもりはないが、最低限謙虚さは欲しい。
山頭火はアル中で必要な金を友人先輩はおろか離縁した元妻や放置の息子にまでたかっていたが才能とともに謙虚さがあったから愛され続けている。
山籠りクロスグレード氏の次の一説に思考の健全さを感じる。
「定時に寝て起きる。こんな難しいことをやり続ける人々が社会の大多数だという事実に度々驚き、通勤時間の光景を見る度に謙虚な気持ちになります。」
2016.5.26
以下続く。
(山籠りクロスグレード絶賛 ②)
2 鑑賞に堪える文章になっている点
小屋ブロガーどうしは同業他社ということになるわけでこれまたほとんど批評し合わない。うるわしき同胞愛、悪く言って傷のなめ合いになっており、それじゃ向上は難しい。
まずは一般的にどうみられているかについて感想を述べさせていただこう。
ア 文章がだらだら長すぎる。一つのセンテンスが長すぎる。
仕事で読むわけでないのでそれらが長いとそれだけで嫌になってしまう。
こういうと、それでも僕の読者は多数いると反論されるかもしれない。
長すぎるセンテンスを分かりやすく短くすれば、今の2倍、3倍になると言いたいのです。
イ 難しい言葉、もってまわったいいまわしはどうにかならないか。
ブログに書くということは不特定多数の人に何かを伝えたいということであろう。ならばわかりやすく書くのが筋のはず。
戦前の旧制高校の学生じゃあるまいし、難しい単語を使ったり回りくどい言い回しをするのはどうかと思う。掘辰夫的、女子高校生的自意識過大の文章はおいたわしい。
江崎玲於奈さんが社会現象について述べている文章を拝読したことがあるが平明な言葉と言い回しでスーッと入り込んでくるものでビックリした。
総じて頭のいい人の文章、話し方はとてもわかりやすい。
頭の悪い我々も外形から頭のいい人の真似をして素直で流れるような文章を目指した方がいいと思うところだ。
職場で言われていたことだが、最高の文章は新聞の記事。中学生が理解できる文章を目指しているとか。
新米記者がカッコつけて書く文章はデスクに馬鹿やろうと怒鳴られ赤だらけになるそうだ。
山籠りクロスグレード氏は総じて上記のところをクリアされている。
一見難しそうでありながらユーモアさえ感じさせる文章は秀逸。とてもかなわない。
世間に通用しない部分社会を超えて羽ばたける何かを持っている。
2016.5.28記